は一生懸命に男手の入ることを弁じつづけた。が、兎に角お住の意見は彼女自身の耳にさへ尤《もつと》もらしい響を伝へなかつた。それは第一に彼女の本音、――つまり彼女の楽になりたさを持ち出すことの出来ない為だつた。お民は又其処を見つけ所に、不相変《あひかはらず》塩からい豌豆を噛み噛み、ぴしぴし姑をきめつけにかかつた。のみならずこれにはお住の知らない天性の口達者も手伝つてゐた。
「お前さんはそれでも好からうさ。先に死んでつてしまふだから。――だがね、おばあさん、わしの身になりや、さう云つてふて腐つちやゐられなえぢやあ。わしだつて何も晴れや自慢で、後家を通してる訣《わけ》ぢやなえよ。骨節《ほねぶし》の痛んで寝られなえ晩なんか、莫迦意地を張つたつて仕かたがなえと、しみじみ思ふこともなえぢやなえ。そりやなえぢやなえけんどね。これもみんな家の為だ、広の為だと考へ直して、やつぱし泣き泣きやつてるだあよ。……」
お住は唯茫然と嫁の顔ばかり眺めてゐた。そのうちにいつか彼女の心ははつきりと或事実を捉へ出した。それは如何《いか》にあがいて見ても、到底目をつぶるまでは楽は出来ないと云ふ事実だつた。お住は嫁のしやべりやんだ後、もう一度大きい眼鏡をかけた。それから半ば独語《ひとりごと》のやうにかう話の結末をつけた。
「だがの、お民、中々お前世の中のことは理窟ばつかしぢや行かなえせえに、とつくりお前も考へて見てくんなよ。おらはもう何とも云はなえからの。」
二十分の後、誰か村の若衆が一人、中音《ちゆうおん》に唄をうたひながら、静にこの家の前を通りすぎた。「若い叔母さんけふは草刈りか。草よ靡《なび》けよ。鎌切れろ。」――唄の声の遠のいた時お住はもう一度眼鏡越しに、ちらりとお民の顔を眺めた。が、お民はランプの向うに長ながと足を伸ばしたまま、生欠伸《なまあくび》をしてゐるばかりだつた。
「どら、寝べえ。朝が早えに。」
お民はやつとかう云つたと思ふと、塩豌豆を一掴《ひとつか》みさらつた後、大儀さうに炉側を立ち上つた。……
―――――――――――――――――
お住はその後三四年の間、黙々と苦しみに堪へつづけた。それは云はばはやり切つた馬と同じ軛《くびき》を背負された老馬の経験する苦しみだつた。お民は不相変《あひかはらず》家を外にせつせと野良仕事にかかつてゐた。お住もはた目には不相変小まめに留守居役を勤めてゐた。しかし見えない鞭の影は絶えず彼女を脅《おび》やかしてゐた。或時は風呂を焚《た》かなかつた為に、或時は籾《もみ》を干し忘れた為に、或時は牛の放れた為に、お住はいつも気の強いお民に当てこすりや小言を云はれ勝ちだつた。が、彼女は言葉も返さず、ぢつと苦しみに堪へつづけた。それは一つには忍従に慣れた精神を持つてゐたからだつた。又二つには孫の広次が母よりも寧《むし》ろ祖母の彼女に余計なついてゐたからだつた。
お住は実際はた目には殆ど以前に変らなかつた。もし少しでも変つたとすれば、それは唯以前のやうに嫁のことを褒めないばかりだつた。けれどもかう云ふ些細《ささい》の変化は格別人目を引かなかつた。少くとも隣のばあさんなどにはいつも「後生《ごしやう》よし」のお住だつた。
或夏の日の照りつけた真昼、お住は納屋《なや》の前を覆つた葡萄棚の葉の陰に隣のばあさんと話してゐた。あたりは牛部屋の蠅の声の外に何の物音も聞えなかつた。隣のばあさんは話をしながら、短い巻煙草を吸つたりした。それは倅の吸ひ殻を丹念に集めて来たものだつた。
「お民さんはえ? ふうん、干し草刈りにの? 若えのにまあ、何でもするのう。」
「なあん、女にや外へ出るよか、内の仕事が一番|好《い》いだよう。」
「いいや、畠仕事の好きなのは何よりだよう。わしの嫁なんか祝言《しうげん》から、はえ、これもう七年が間、畠へはおろか草むしりせえ、唯の一日も出たことはなえわね。子供の物の洗濯だあの、自分の物の仕直しだあのつて、毎日|永《なが》の日を暮らしてらあね。」
「そりやその方が好いだよう。子供のなりも見好くしたり、自分も小綺麗《こぎれい》になつたりするはやつぱし浮世の飾りだよう。」
「でもさあ、今の若え者は一体に野良仕事が嫌ひだよう。――おや、何ずら、今の音は?」
「今の音はえ? ありやお前さん、牛の屁だわね。」
「牛の屁かえ? ふんとうにまあ。――尤も炎天に甲羅《かふら》を干し干し、粟《あは》の草取りをするのなんか、若え時にや辛いからね。」
二人の老婆はかう云ふ風に大抵平和に話し合ふのだつた。
―――――――――――――――――
仁太郎の死後八年余り、お民は女の手一つに一家の暮らしを支へつづけた。同時に又いつかお民の名は一村の外へも弘《ひろ》がり出した。お民はもう「稼ぎ病」に夜も日も明けない若後家ではなかつた。況《いはん》や村の若衆などの「若い小母《をば》さん」ではなほ更なかつた。その代りに嫁の手本だつた。今の世の貞女の鑑《かがみ》だつた。「沢向うのお民さんを見ろ。」――さう云ふ言葉は小言と一しよに誰の口からも出る位だつた。お住は彼女の苦しみを隣の婆さんにさへ訴へなかつた。訴へたいとも亦思はなかつた。しかし彼女の心の底に、はつきり意識しなかつたにしろ、何処《どこ》か天道を当《あて》にしてゐた。その頼みもとうとう水の泡になつた。今はもう孫の広次より外に頼みになるものは一つもなかつた。お住は十二三になつた孫へ必死の愛を傾けかけた。けれどもこの最後の頼みも途絶《とだ》えさうになることは度たびだつた。
或秋晴のつづいた午後、本包みを抱へた孫の広次は、あたふた学校から帰つて来た。お住は丁度納屋の前に器用に庖丁を動かしながら、蜂屋柿を吊し柿に拵《こしら》へてゐた。広次は粟の籾《もみ》を干した筵《むしろ》を身軽に一枚飛び越えたと思ふと、ちやんと両足を揃へたまま、ちよつと祖母に挙手の礼をした。それから何の次穂《つぎほ》もなしに、かう真面目に尋ねかけた。
「ねえ、おばあさん。おらのお母さんはうんと偉い人かい?」
「なぜや?」
お住は庖丁の手を休めるなり、孫の顔を見つめずにはゐられなかつた。
「だつて先生がの、修身の時間にさう云つたぜ。広次のお母さんはこの近在に二人とない偉い人だつて。」
「先生がの?」
「うん、先生が。※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]《うそ》だのう?」
お住はまづ狼狽《らうばい》した。孫さへ学校の先生などにそんな大※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]を教へられてゐる、――実際お住にはこの位意外な出来事はないのだつた。が、一瞬の狼狽の後、発作的の怒《いかり》に襲はれたお住は別人のやうにお民を罵《ののし》り出した。
「おお、※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]だとも、※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]の皮だわ。お前のお母さんと云ふ人はな、外でばつか働くせえに、人前は偉く好いけんどな、心はうんと悪《わる》な人だわ。おばあさんばつか追ひ廻してな、気ばつか無暗《むやみ》と強くつてな、……」
広次は唯驚いたやうに、色を変へた祖母を眺めてゐた。そのうちにお住は反動の来たのか、忽《たちま》ち又涙をこぼしはじめた。
「だからな、このおばあさんはな、われ一人を頼みに生きてゐるだぞ。わりやそれを忘れるぢやなえぞ。われもやがて十七になつたら、すぐに嫁を貰つてな、おばあさんに息をさせるやうにするんだぞ。お母さんは徴兵がすむまぢやあなんか、気の長えことを云つてるがな、どうしてどうして待てるもんか! 好いか? わりやおばあさんにお父さんと二人分孝行するだぞ。さうすりやおばあさんも悪いやうにやしなえ。何でもわれにくれてやるからな。……」
「この柿も熟《う》んだら、おらにくれる?」
広次はもうもの欲しさうに籠の中の柿をいぢつてゐた。
「おおさえ。くれなえで。わりや年は行かなえでも、何でもよくわかつてる。いつまでもその気をなくすぢやなえぞ。」
お住は涙を流し流し、吃逆《しやくり》をするやうに笑ひ出した。……
かう云ふ小事件のあつた翌晩、お住はとうとうちよつとしたことから、お民とも烈しいいさかひをした。ちよつとしたこととはお民の食ふ藷《いも》をお住の食つたとか云ふことだけだつた。しかしだんだん云ひ募《つの》るうちに、お民は冷笑を浮べながら、「お前さん働くのが厭になつたら、死ぬより外はなえよ」と云つた。するとお住は日頃に似合はず、気違ひのやうに吼《たけ》り出した。丁度この時孫の広次は祖母の膝を枕にしたまま、とうにすやすや寝入つてゐた。が、お住はその孫さへ、「広、かう、起きろ」と揺すり起した上、いつまでもかう罵りつづけた。
「広、かう、起きろ。広、かう、起きて、お母さんの云ひ草を聞いてくよう。お母さんはおらに死ねつて云つてゐるぞ。な、よく聞け。そりやお母さんの代になつて、銭は少しは殖《ふ》えつらけんど、一町三段の畠はな、ありやみんなおぢいさんとおばあさんとの開墾したもんだぞ。そりようどうだ? お母さんは楽がしたけりや死ねつて云つてるぞ。――お民、おらは死ぬべえよう。何の死ぬことが怖いもんぢや。いいや、手前の指図なんか受けなえ。おらは死ぬだ。どうあつても死ぬだ。死んで手前にとつ着いてやるだ。……」
お住は大声に罵り罵り、泣き出した孫と抱き合つてゐた。が、お民は不相変ごろりと炉側へ寝ころんだなり、そら耳を走らせてゐるばかりだつた。
―――――――――――――――――
けれどもお住は死ななかつた。その代りに翌年の土用明け前、丈夫自慢のお民は腸チブスに罹《かか》り、発病後八日目に死んでしまつた。尤も当時腸チブス患者はこの小さい一村の中にも何人出たかわからなかつた。しかもお民は発病する前に、やはりチブスの為に倒れた鍛冶屋の葬式の穴掘り役に行つた。鍛冶屋にはまだ葬式の日にやつと避病院へ送られる弟子の小僧も残つてゐた。「あの時にきつと移つたずら」――お住は医者の帰つた後、顔をまつ赤にした患者のお民にかう非難を仄《ほのめ》かせたりした。
お民の葬式の日は雨降りだつた。しかし村のものは村長を始め、一人も残らず会葬した。会葬したものは又一人も残らず若死したお民を惜しんだり、大事の稼ぎ人を失つた広次やお住を憐んだりした。殊に村の総代役は郡でも近々にお民の勤労を表彰する筈だつたと云ふことを話した。お住は唯さう云ふ言葉に頭を下げるより外はなかつた。「まあ運だとあきらめるだよ。わし等もお民さんの表彰に就《つ》いちや、去年から郡役所へ願ひ状を出すしさ、村長さんやわしは汽車賃を使つて五度も郡長さんに会ひに行くしさ、やさしい骨を折つたことぢやなえ。だがの、わし等もあきらめるだから、お前さんも一つあきらめるだ。」――人の好い禿げ頭の総代役はかう常談《じやうだん》などもつけ加へた。それを又若い小学教員は不快さうにじろじろ眺めたりした。
お民の葬式をすました夜、お住は仏壇のある奥部屋の隅に広次と一つ蚊帳《かや》へはひつてゐた。ふだんは勿論二人ともまつ暗にした中に眠るのだつた。が、今夜は仏壇にはまだ燈明もともつてゐた。その上妙な消毒薬の匂も古畳にしみこんでゐるらしかつた。お住はそんなこんなのせゐか、いつまでも容易に寝つかれなかつた。お民の死は確かに彼女の上へ大きい幸福を齎《もたら》してゐた。彼女はもう働かずとも好かつた。小言を云はれる心配もなかつた。其処へ貯金は三千円もあり、畠は一町三段ばかりあつた。これからは毎日孫と一しよに米の飯を食ふのも勝手だつた。日頃好物の塩鱒《しほます》を俵《たはら》で取るのも亦勝手だつた。お住はまだ一生のうちにこの位ほつとした覚えはなかつた。この位ほつとした?――しかし記憶ははつきりと九年前の或夜を呼び起した。あの夜も一息ついたことを思へば、殆ど今夜に変らなかつた。あれは現在血をわけた倅の葬式のすんだ夜だつた。今夜は?――今夜も一人の孫を産んだ嫁の葬式のすんだばかりだつた。
お住は思はず目を開いた。孫は彼女のすぐ隣に多愛のない寝顔を仰向けてゐた。お住はその寝顔を見てゐる
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