のまんまでせえ荷が過ぎてらあの。それをお前飛んでもなえ、何で養蚕が出来るもんぢや? ちつとはお前おらのことも考へて見てくんなよう。」
 お民も姑《しうとめ》に泣かれて見ると、それでもとは云はれた義理ではなかつた。しかし養蚕は断念したものの、桑畑を作ることだけは強情に我意を張り通した。「好いわね。どうせ畑へはわし一人出りやすむんだから。」――お民は不服さうにお住を見ながら、こんな当《あて》つこすりも呟《つぶや》いたりした。
 お住は又この時以来、壻を取る話を考へ出した。以前にも暮しを心配したり、世間を兼ねたりした為に、壻をと思つたことは度たびあつた。しかし今度は片時《かたとき》でも留守居役の苦しみを逃れたさに、壻をと思ひはじめたのだつた。それだけに以前に比べれば、今度の壻を取りたさはどの位痛切だか知れなかつた。
 丁度裏の蜜柑畠の一ぱいに花をつける頃、ランプの前に陣取つたお住は大きい夜なべの眼鏡越しに、そろそろこの話を持ち出して見た。しかし炉側《ろばた》に胡坐《あぐら》をかいたお民は塩豌豆《しほゑんどう》を噛みながら、「又壻話かね、わしは知らなえよう」と相手になる気色《けしき》も見せなかつた。以前のお住ならばこれだけでも、大抵あきらめてしまふ所だつた。が、今度は今度だけに、お住もねちねち口説《くど》き出した。
「でもの、さうばかり云つちやゐられなえぢや。あしたの宮下の葬式にやの、丁度今度はおら等の家もお墓の穴掘り役に当つてるがの。かう云ふ時に男手のなえのは、……」
「好いわね。掘り役にはわしが出るわね。」
「まさか、お前、女の癖に、――」
 お住はわざと笑はうとした。が、お民の顔を見ると、うつかり笑ふのも考へものだつた。
「おばあさん、お前さん隠居でもしたくなつたんぢやあるまえね?」
 お民は胡坐の膝を抱いたなり、冷かにかう釘を刺した。突然急所を衝《つ》かれたお住は思はず大きい眼鏡を外《はづ》した。しかし何の為に外したかは彼女自身にもわからなかつた。
「なあん、お前、そんなことを!」
「お前さん広のお父さんの死んだ時に、自分でも云つたことを忘れやしまえね? 此処の家の田地を二つにしちや、御先祖様にもすまなえつて、……」
「ああさ。そりやさう云つたぢや。でもの、まあ考へて見ば。時世時節《ときよじせつ》と云ふこともあるら。こりやどうにも仕かたのなえこんだの。……」
 お住は一生懸命に男手の入ることを弁じつづけた。が、兎に角お住の意見は彼女自身の耳にさへ尤《もつと》もらしい響を伝へなかつた。それは第一に彼女の本音、――つまり彼女の楽になりたさを持ち出すことの出来ない為だつた。お民は又其処を見つけ所に、不相変《あひかはらず》塩からい豌豆を噛み噛み、ぴしぴし姑をきめつけにかかつた。のみならずこれにはお住の知らない天性の口達者も手伝つてゐた。
「お前さんはそれでも好からうさ。先に死んでつてしまふだから。――だがね、おばあさん、わしの身になりや、さう云つてふて腐つちやゐられなえぢやあ。わしだつて何も晴れや自慢で、後家を通してる訣《わけ》ぢやなえよ。骨節《ほねぶし》の痛んで寝られなえ晩なんか、莫迦意地を張つたつて仕かたがなえと、しみじみ思ふこともなえぢやなえ。そりやなえぢやなえけんどね。これもみんな家の為だ、広の為だと考へ直して、やつぱし泣き泣きやつてるだあよ。……」
 お住は唯茫然と嫁の顔ばかり眺めてゐた。そのうちにいつか彼女の心ははつきりと或事実を捉へ出した。それは如何《いか》にあがいて見ても、到底目をつぶるまでは楽は出来ないと云ふ事実だつた。お住は嫁のしやべりやんだ後、もう一度大きい眼鏡をかけた。それから半ば独語《ひとりごと》のやうにかう話の結末をつけた。
「だがの、お民、中々お前世の中のことは理窟ばつかしぢや行かなえせえに、とつくりお前も考へて見てくんなよ。おらはもう何とも云はなえからの。」
 二十分の後、誰か村の若衆が一人、中音《ちゆうおん》に唄をうたひながら、静にこの家の前を通りすぎた。「若い叔母さんけふは草刈りか。草よ靡《なび》けよ。鎌切れろ。」――唄の声の遠のいた時お住はもう一度眼鏡越しに、ちらりとお民の顔を眺めた。が、お民はランプの向うに長ながと足を伸ばしたまま、生欠伸《なまあくび》をしてゐるばかりだつた。
「どら、寝べえ。朝が早えに。」
 お民はやつとかう云つたと思ふと、塩豌豆を一掴《ひとつか》みさらつた後、大儀さうに炉側を立ち上つた。……
       ―――――――――――――――――
 お住はその後三四年の間、黙々と苦しみに堪へつづけた。それは云はばはやり切つた馬と同じ軛《くびき》を背負された老馬の経験する苦しみだつた。お民は不相変《あひかはらず》家を外にせつせと野良仕事にかかつてゐた。お住もはた目には不相変小まめに留
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