小説」の編輯者《へんしふしや》は今「人間」の編輯をしてゐる野村治輔《のむらぢすけ》君で、同君が私の書けない事に非常に同情してくれて、その原稿がなかつたら実際困つたでもあらうが、心よく翌月号に延ばしてくれた。それから直《す》ぐにその号のために書き出したが、その頃、私の知つてゐる人が蕪村《ぶそん》の書いた「芭蕉涅槃図《ばせをねはんづ》」――それは仏画である――を手に入れた。それが前に見て置いた川越《かはごえ》の喜多院《きたゐん》にある「芭蕉涅槃図」よりは大きさも大きかつたし、それに出来も面白かつた。それを見ると、私の計画が又変つた。で、今度はその「芭蕉涅槃図」からヒントを得て、芭蕉の病床を弟子達が取り囲んでゐるところを書いて漸く初めの目的を達した。
かういふ風に持つてまはつたのは先づ珍しいことで、大抵《たいてい》は筆を取る前に考へて、その考へた通りに書いて行《ゆ》くのが普通である。その普通といふのは主《おも》に短いものを書く場合で、長いものになると書いてゐる中《うち》に、作中の人間なり事件なりが予定とは違つた発展のしかたをすることが往々ある。
神様がこの世界を造つたものならば、どうしてこの世の中に悪だの悲しみがあるのだらうと人々はよく言ふが、神様も私の小説と同じやうに、この世界を拵《こしら》へて行《ゆ》くうちに、世界それ自身が勝手に発展して思ふ通りに行《ゆ》かなかつたかも知れない。
それは冗談《じようだん》であるけれども、さういふ風に人物なり事件なりが予定とちがつて発展をする場合、ちがつた為《た》めに作品がよくなるか、わるくなるかは一概《いちがい》に言へないであらうと思ふ。併《しか》し、ちがふにしても、凡《およ》そちがふ程度があるもので、馬を書かうと思つたのが馬蝿《うまばへ》になつたといふことはない。まあ牛になるとか羊になるとかいふ位である。併し、もう少し大筋《おほすぢ》を離れたところになると、書いてゐるうちに色々なことを思ひつくので、随分《ずゐぶん》ちがふことがある。例へば「奉教人《ほうけうにん》の死」といふ小説は、昔のキリスト教徒たる女が男になつてゐて、色々の苦しい目に逢ふ。その苦しみを堪へしのんだ後《のち》に死んだが、死んで見たらば始めて女であつたことがわかつたといふ筋である。その小説の仕舞《しまひ》のところに、火事のことがある。その火事のところは初めちつと
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