らないのだ。
或声 お前さへ社会を怖れるのか?
僕 誰が社会を怖れなかつたか?
或声 牢獄に三年もゐたワイルドを見ろ。ワイルドは「妄《みだ》りに自殺するのは社会に負けるのだ」と言つてゐる。
僕 ワイルドは牢獄にゐた時に何度も自殺を計つてゐる。しかも自殺しなかつたのは唯その方法のなかつたばかりだ。
或声 お前は善悪を蹂躙《じうりん》してしまへ。
僕 僕は今後もいやが上にも善人にならうと思つてゐる。
或声 お前は余り単純過ぎる。
僕 いや、僕は複雑過ぎるのだ。
或声 しかしお前は安心しろ。お前の読者は絶えないだらう。
僕 それは著作権のなくなつた後だ。
或声 お前は愛の為に苦しんでゐるのだ。
僕 愛の為に? 文学青年じみたお世辞は好《い》い加減にしろ。僕は唯情事に躓《つまづ》いただけだ。
或声 誰も情事には躓き易い。
僕 それは誰も金銭の慾に溺《おぼ》れ易いと云ふことだけだ。
或声 お前は人生の十字架にかかつてゐる。
僕 それは僕の自慢にはならない。情婦殺しや拐帯《かいたい》犯人も人生の十字架にかかつてゐるのだ。
或声 人生はそんなに暗いものではない。
僕 人生は「選ばれたる少数」を除けば
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