如き、「寺僧病人問答の事」の如き、或は又「仏者と儒者|渡唐天神《とたうてんじん》を論ずる事」の如き、論理の筆を弄《ろう》したるものは如何《いか》に贔屓眼《ひいきめ》に見るにせよ、概《おほむ》ね床屋《とこや》の親方の人生観を講釈すると五十歩百歩の間《かん》にあるが如し。因《ちなみ》に云ふ。「古今《ここん》実物語」は宝暦《はうれき》二年正月出板、土冏然《とけいぜん》の漢文の序あり。書肆《しよし》は大阪南本町一丁目|村井喜太郎《むらゐきたらう》、「古今百物語」、「当世百物語」号と同年の出版なりしも一興ならん乎《か》。

[#5字下げ]二 魂胆色遊懐男[#「二 魂胆色遊懐男」は大見出し]

「魂胆色遊懐男《こんたんいろあそびふところをとこ》」はかの「豆男江戸見物《まめをとこえどけんぶつ》」のプロトタイプなり。予の家に蔵するは巻一、巻四の二冊なれども、大豆右衛門《まめゑもん》の冒険にはラブレエを想はしむるものなきにあらず。
 大豆右衛門は洛東《らくとう》山科《やましな》の人なり。その母「塩の長次《ちやうじ》にはあらねど、夢中に馬を呑むと見て、懐胎したる子なるゆへ」大豆右衛門と称せしと云へば、この名の由《よ》つて来る所は必《かならず》しも多言するを要せざるべし。大豆右衛門、二十三歳の時、「さねかづら取りて京の歴々の女中方へ売べしと逢坂山《あふさかやま》にわけ登り」しが、偶《たまたま》玉貌《ぎよくばう》の仙女《せんぢよ》と逢ひ、一粒《いちりふ》の金丹《きんたん》を服するを得たり。「ありがたくおし頂きてのむに、忽ち其身雪霜の消ゆる如くみぢみぢとなつて、芥子人形《けしにんぎやう》の如くになれり。」こは人倫の交《まじは》りを不可能ならしむるに似たれども、仙女の説明する所によれば、「色里《いろざと》にても又は町家の歴々の奥がたにても、心のままにあはれるなり。(中略)汝《なんぢ》があふて見度《みたし》と思ふ女のねんごろにする男の懐《ふところ》の中に入れば、その男の魂ぬけ出《いで》、汝|仮《かり》に其男に入れかはりて、相手の女を自由にする事、又なき楽しみにあらずや」と云へば、頗《すこぶ》る便利なる転身《てんしん》と云ふべし。爾来《じらい》大豆右衛門、色を天下に漁《ぎよ》すと雖も、迷宮《めいきゆう》に似たる人生は容易に幸福を与ふるものにあらず。たとへば巻一の「姉《あね》の異見|耳痛樫木枕《みみいたいかたぎまくら》」を見よ。
「台所より飛びあがり、奥の方を心がけ、襖《ふすま》のすこし明《あ》きたるあひよりそつと下《お》りて大座敷へ出《いで》、(中略)唐更紗《たうざらさ》の暖簾《のれん》あげて、長四畳《ながよでふ》の間《ま》を過ぎ、一だんたかき小座敷あつて、有明《ありあけ》の火明らかに、是《これ》ぞ此家《このや》の旦那《だんな》殿の寝所《しんじよ》ならめと腰障子をすこしつきやぶりて、是より入つて見れば夫婦枕をならべて、前後も知らず連れ節《ぶし》の鼾《いびき》に、(中略)先《まづ》内儀《ないぎ》の顔をさし覗《のぞ》いて見れば、其《その》美しさ此《この》器量で三十ばかりに見ゆれば、卅五六でもあるべし。(中略)男は三十一二に見えて、成程《なるほど》強さうな生れつき。扨《さて》は此女房の美しいに思ひつきて、我より二つ四つも年のいたをもたれしか、但《ただし》入り聟《むこ》か、(中略)と亭主《ていしゆ》が懐《ふところ》にはいればそのまま魂《たましひ》入れ替り、(中略)さあ夢さましてもてなしやと云へば、此女房目をさまし、肝《きも》のつぶれた顔して、あたりへ我をつきのけ、起きかへつて、コレ気ちがひ、爰《ここ》を内ぢやと思ひやるか、夜《よ》の更《ふ》けぬ先に往《い》にや/\と云ふに、面白うもない歌留多《かるた》をうつてゐて夜《よ》を更《ふ》かし、今からは往《い》なれまい、旦那殿《だんなどの》も大津祭《おほつまつり》に行《ゆ》かれて留守《るす》ぢやほどに、泊つてなりと行きやと、兄弟の忝《かたじ》けなさは何《なん》の遠慮もなく一所に寝るを、姉《あね》をとらまへ軽忽《きやうこつ》な、こりや畜生の行儀《ぎやうぎ》か。こちや畜生になる事は厭《いや》ぢやいの。(中略)多聞《たぶん》悪いと畳を叩いて腹を立てる。扨《さて》は南無《なむ》さん姉ぢやさうな。是は粗相千万《そさうせんばん》、(中略)と後先《あとさき》揃はぬ事を云ふて、又|本《もと》の夜着《よぎ》へこそこそはいつて、寝るより早く其処《そこ》を立ち退《の》き、(下略《げりやく》)」(この項未完)
[#地から1字上げ](大正十三年六月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
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