り、敵打《かたきうち》の旅に上《のぼ》る事になった。甚太夫は平太郎の死に責任の感を免《まぬか》れなかったのか、彼もまた後見《うしろみ》のために旅立ちたい旨を申し出でた。と同時に求馬と念友《ねんゆう》の約があった、津崎左近《つざきさこん》と云う侍も、同じく助太刀《すけだち》の儀を願い出した。綱利は奇特《きどく》の事とあって、甚太夫の願は許したが、左近の云い分は取り上げなかった。
 求馬は甚太夫喜三郎の二人と共に、父平太郎の初七日《しょなぬか》をすますと、もう暖国の桜は散り過ぎた熊本《くまもと》の城下を後にした。

        一

 津崎左近《つざきさこん》は助太刀の請《こい》を却《しりぞ》けられると、二三日家に閉じこもっていた。兼ねて求馬《もとめ》と取換した起請文《きしょうもん》の面《おもて》を反故《ほご》にするのが、いかにも彼にはつらく思われた。のみならず朋輩《ほうばい》たちに、後指《うしろゆび》をさされはしないかと云う、懸念《けねん》も満更ないではなかった。が、それにも増して堪え難かったのは、念友《ねんゆう》の求馬を唯一人|甚太夫《じんだゆう》に託すと云う事であった。そこで彼は
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