り、敵打《かたきうち》の旅に上《のぼ》る事になった。甚太夫は平太郎の死に責任の感を免《まぬか》れなかったのか、彼もまた後見《うしろみ》のために旅立ちたい旨を申し出でた。と同時に求馬と念友《ねんゆう》の約があった、津崎左近《つざきさこん》と云う侍も、同じく助太刀《すけだち》の儀を願い出した。綱利は奇特《きどく》の事とあって、甚太夫の願は許したが、左近の云い分は取り上げなかった。
 求馬は甚太夫喜三郎の二人と共に、父平太郎の初七日《しょなぬか》をすますと、もう暖国の桜は散り過ぎた熊本《くまもと》の城下を後にした。

        一

 津崎左近《つざきさこん》は助太刀の請《こい》を却《しりぞ》けられると、二三日家に閉じこもっていた。兼ねて求馬《もとめ》と取換した起請文《きしょうもん》の面《おもて》を反故《ほご》にするのが、いかにも彼にはつらく思われた。のみならず朋輩《ほうばい》たちに、後指《うしろゆび》をさされはしないかと云う、懸念《けねん》も満更ないではなかった。が、それにも増して堪え難かったのは、念友《ねんゆう》の求馬を唯一人|甚太夫《じんだゆう》に託すと云う事であった。そこで彼は敵打《かたきうち》の一行《いっこう》が熊本の城下を離れた夜《よ》、とうとう一封の書を家に遺して、彼等の後《あと》を慕うべく、双親《ふたおや》にも告げず家出をした。
 彼は国境《くにざかい》を離れると、すぐに一行に追いついた。一行はその時、ある山駅《さんえき》の茶店に足を休めていた。左近はまず甚太夫の前へ手をつきながら、幾重《いくえ》にも同道を懇願した。甚太夫は始《はじめ》は苦々《にがにが》しげに、「身どもの武道では心もとないと御思いか。」と、容易《ようい》に承《う》け引く色を示さなかった。が、しまいには彼も我《が》を折って、求馬の顔を尻眼にかけながら、喜三郎《きさぶろう》の取りなしを機会《しお》にして、左近の同道を承諾した。まだ前髪《まえがみ》の残っている、女のような非力《ひりき》の求馬は、左近をも一行に加えたい気色《けしき》を隠す事が出来なかったのであった。左近は喜びの余り眼に涙を浮べて、喜三郎にさえ何度となく礼の言葉を繰返《くりかえ》していた。
 一行四人は兵衛《ひょうえ》の妹壻《いもうとむこ》が浅野家《あさのけ》の家中にある事を知っていたから、まず文字《もじ》が関《せき》の瀬戸《
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