かない。
「大分《だいぶ》下《しも》の間《ま》は、賑かなようですな。」
忠左衛門は、こう云いながら、また煙草《たばこ》を一服吸いつけた。
「今日の当番は、伝右衛門《でんえもん》殿ですから、それで余計話がはずむのでしょう。片岡なども、今し方あちらへ参って、そのまま坐りこんでしまいました。」
「道理こそ、遅いと思いましたよ。」
忠左衛門は、煙にむせて、苦しそうに笑った。すると、頻《しきり》に筆を走らせていた小野寺十内が、何かと思った気色《けしき》で、ちょいと顔をあげたが、すぐまた眼を紙へ落して、せっせとあとを書き始める。これは恐らく、京都の妻女へ送る消息でも、認《したた》めていたものであろう。――内蔵助も、眦《まなじり》の皺《しわ》を深くして、笑いながら、
「何か面白い話でもありましたか。」
「いえ。不相変《あいかわらず》の無駄話ばかりでございます。もっとも先刻、近松《ちかまつ》が甚三郎《じんざぶろう》の話を致した時には、伝右衛門殿なぞも、眼に涙をためて、聞いて居られましたが、そのほかは――いや、そう云えば、面白い話がございました。我々が吉良《きら》殿を討取って以来、江戸中に何かと仇討
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