《あだうち》じみた事が流行《はや》るそうでございます。」
「ははあ、それは思いもよりませんな。」
忠左衛門は、けげんな顔をして、藤左衛門を見た。相手は、この話をして聞かせるのが、何故《なぜ》か非常に得意らしい。
「今も似よりの話を二つ三つ聞いて来ましたが、中でも可笑《おか》しかったのは、南八丁堀《みなみはっちょうぼり》の湊町《みなとちょう》辺にあった話です。何でも事の起りは、あの界隈《かいわい》の米屋の亭主が、風呂屋で、隣同志の紺屋の職人と喧嘩をしたのですな。どうせ起りは、湯がはねかったとか何とか云う、つまらない事からなのでしょう。そうして、その揚句《あげく》に米屋の亭主の方が、紺屋の職人に桶で散々|撲《なぐ》られたのだそうです。すると、米屋の丁稚《でっち》が一人、それを遺恨に思って、暮方《くれがた》その職人の外へ出る所を待伏せて、いきなり鉤《かぎ》を向うの肩へ打ちこんだと云うじゃありませんか。それも「主人の讐《かたき》、思い知れ」と云いながら、やったのだそうです。……」
藤左衛門は、手真似をしながら、笑い笑い、こう云った。
「それはまた乱暴至極ですな。」
「職人の方は、大怪我《おおけが》をしたようです。それでも、近所の評判は、その丁稚《でっち》の方が好《よ》いと云うのだから、不思議でしょう。そのほかまだその通町《とおりちょう》三丁目にも一つ、新麹町《しんこうじまち》の二丁目にも一つ、それから、もう一つはどこでしたかな。とにかく、諸方にあるそうです。それが皆、我々の真似だそうだから、可笑《おか》しいじゃありませんか。」
藤左衛門と忠左衛門とは、顔を見合せて、笑った。復讐の挙が江戸の人心に与えた影響を耳にするのは、どんな些事《さじ》にしても、快いに相違ない。ただ一人|内蔵助《くらのすけ》だけは、僅に額へ手を加えたまま、つまらなそうな顔をして、黙っている。――藤左衛門の話は、彼の心の満足に、かすかながら妙な曇りを落させた。と云っても、勿論彼が、彼のした行為のあらゆる結果に、責任を持つ気でいた訳ではない。彼等が復讐の挙を果して以来、江戸中に仇討が流行した所で、それはもとより彼の良心と風馬牛《ふうばぎゅう》なのが当然である。しかし、それにも関らず、彼の心からは、今までの春の温《ぬく》もりが、幾分か減却したような感じがあった。
事実を云えば、その時の彼は、単に自分たち
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