或社会主義者
芥川龍之介
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)勘当《かんだう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時々|籐椅子《とういす》により
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十五・一二・一〇)
−−
彼は若い社会主義者だつた。或小官吏だつた彼の父はそのためにかれを勘当《かんだう》しようとした。が、彼は屈しなかつた。それは彼の情熱が烈しかつたためでもあり、又一つには彼の友だちが彼を激励したためでもあつた。
彼等は或団体をつくり、十ペエジばかりのパンフレツトを出したり、演説会を開いたりしてゐた。彼も勿論彼等の会合へ絶えず顔を出した上、時々そのパンフレツトへ彼の論文を発表した。彼の論文は彼等以外に誰も余り読まないらしかつた。しかし彼はその中の一篇、――「リイプクネヒトを憶ふ」の一篇に多少の自信を抱《いだ》いてゐた。それは緻密《ちみつ》な思索《しさく》はないにしても、詩的な情熱に富んだものだつた。
そのうちに彼は学校を出、或雑誌社へ勤めることになつた。けれども彼等の会合へ顔を出すことは怠らなかつた。彼等は相変らず熱心に彼等の問題を論じ合つてゐた。のみならず地下水の石を鑿《うが》つやうにじりじり実行へも移らうとしてゐた。
彼の父も今となつては彼に干渉《かんせふ》を加へなかつた。彼は或女と結婚し、小さい家に住むやうになつた。彼の家は実際小さかつた。が、彼は不満どころか、可なり幸福に感じてゐた。妻、小犬、庭先のポプラア、――それ等は彼の生活に何か今まで感じなかつた或親しみを与へたのだつた。
彼は家庭を持つたために、一つには又寸刻を争ふ勤め先の仕事に追はれたために、いつか彼等の会合へ顔を出すのを怠るやうになつた。しかし彼の情熱は決して衰へた訣《わけ》ではなかつた。少くとも彼は現在の彼も決して数年以前の彼と変らないことを信じてゐた。が、彼等は――彼の同志は彼自身のやうには考へなかつた。殊に彼等の団体へ新《あらた》にはひつて来た青年たちは彼の怠惰《たいだ》を非難するのに少しも遠慮を加へなかつた。
それは勿論いつの間《ま》にか一層彼等の会合から彼を遠ざけずには措《お》かなかつた。そこへ彼は父親になり、愈《いよいよ》家庭に親しみ出した。けれども彼の情熱はやはり社会主義に向つてゐた。彼は夜更《よふけ》の電燈の下に彼の勉強を怠らなかつた。同時に又彼が以前書いた十何篇かの論文には、――就中《なかんづく》「リイプクネヒトを憶ふ」の一篇にはだんだん物足《ものた》らなさを感じ出した。
彼等も又彼に冷淡だつた。彼はもう彼等には非難するのにも足らないものだつた。彼等は彼を残したまま、――或は大体《だいたい》彼に近い何人かの人々を残したまま、著々《ちやくちやく》と仕事を進めて行つた。彼は旧友に会ふたびに今更のやうに愚痴《ぐち》をこぼしたりしてゐた。が、実は彼自身もいつかただ俗人の平和に満足してゐたのに違ひなかつた。
それから何年かたつた後《のち》、彼は或会社に勤め、重役たちの信用を得るやうになつた。従つて今では以前よりも兎《と》も角《かく》大きい家に住み、何人かの子供を育てるやうになつた。しかし彼の情熱は、――そのどこにあるかといふことは神の知るばかりかも知れなかつた。彼は時々|籐椅子《とういす》により、一本の葉巻を楽しみながら、彼の青年時代を思ひ出した。それは妙に彼の心を憂鬱にすることもない訣《わけ》ではなかつた。けれども東洋の「あきらめ」はいつも彼を救ひ出すのだつた。
彼は確《たしか》に落伍者《らくごしや》だつた。が、彼の「リイプクネヒトを憶ふ」は或青年を動かしてゐた。それは株に手を出した挙句《あげく》、親譲りの財産を失つた大阪の或青年だつた。その青年は彼の論文を読み、それを機縁《きえん》に社会主義者になつた。が、勿論そんなことは彼には全然わからなかつた。彼は今でも籐《とう》椅子により、一本の葉巻を楽しみながら、彼の青年時代を思ひ出してゐる、人間的に、恐らくは余りに人間的に。
[#地から1字上げ](大正一五・一二・一〇)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
全1ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング