つてゐた。彼は夜更《よふけ》の電燈の下に彼の勉強を怠らなかつた。同時に又彼が以前書いた十何篇かの論文には、――就中《なかんづく》「リイプクネヒトを憶ふ」の一篇にはだんだん物足《ものた》らなさを感じ出した。
 彼等も又彼に冷淡だつた。彼はもう彼等には非難するのにも足らないものだつた。彼等は彼を残したまま、――或は大体《だいたい》彼に近い何人かの人々を残したまま、著々《ちやくちやく》と仕事を進めて行つた。彼は旧友に会ふたびに今更のやうに愚痴《ぐち》をこぼしたりしてゐた。が、実は彼自身もいつかただ俗人の平和に満足してゐたのに違ひなかつた。
 それから何年かたつた後《のち》、彼は或会社に勤め、重役たちの信用を得るやうになつた。従つて今では以前よりも兎《と》も角《かく》大きい家に住み、何人かの子供を育てるやうになつた。しかし彼の情熱は、――そのどこにあるかといふことは神の知るばかりかも知れなかつた。彼は時々|籐椅子《とういす》により、一本の葉巻を楽しみながら、彼の青年時代を思ひ出した。それは妙に彼の心を憂鬱にすることもない訣《わけ》ではなかつた。けれども東洋の「あきらめ」はいつも彼を救ひ出すのだつた。
 彼は確《たしか》に落伍者《らくごしや》だつた。が、彼の「リイプクネヒトを憶ふ」は或青年を動かしてゐた。それは株に手を出した挙句《あげく》、親譲りの財産を失つた大阪の或青年だつた。その青年は彼の論文を読み、それを機縁《きえん》に社会主義者になつた。が、勿論そんなことは彼には全然わからなかつた。彼は今でも籐《とう》椅子により、一本の葉巻を楽しみながら、彼の青年時代を思ひ出してゐる、人間的に、恐らくは余りに人間的に。
[#地から1字上げ](大正一五・一二・一〇)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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