からである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措《お》いてくれ給へ。僕は或は病死のやうに自殺しないとも限らないのである。
 附記。僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下《だいぼんげ》の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹《ぼだいじゆ》の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。
[#地から2字上げ](昭和二年七月、遺稿)



底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:小浜真由美
1998年4月20日公開
2004年2月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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