機の前へ歩み寄つてレコオドの貼り札を検《しら》べることにした。
 Magic Flute――Mozart
 彼は咄嗟《とつさ》に了解した。十戒を破つたモツツアルトはやはり苦しんだのに違ひなかつた。しかしよもや彼のやうに、……彼は頭を垂れたまま、静かに彼の卓子《テエブル》へ帰つて行つた。

     四十二 神々の笑ひ声

 三十五歳の彼は春の日の当つた松林の中を歩いてゐた。二三年前に彼自身の書いた「神々は不幸にも我々のやうに自殺出来ない」と云ふ言葉を思ひ出しながら。……

     四十三 夜

 夜はもう一度迫り出した。荒れ模様の海は薄明りの中に絶えず水沫《しぶき》を打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等には歓《よろこ》びだつた。が、同時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と一しよに沖の稲妻を眺めてゐた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。
「あすこに船が一つ見えるね?」
「ええ。」
「檣《ほばしら》の二つに折れた船が。」

     四十四 死

 彼はひとり寝てゐるのを幸ひ、窓格子に帯をかけて縊死《いし》しようとした。が、帯に頸《く
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