には石塔が幾つも黒《くろず》んでゐた。彼はそれ等の石塔の向うにかすかにかがやいた海を眺め、何か急に彼女の夫を――彼女の心を捉へてゐない彼女の夫を軽蔑し出した。……

     二十二 或画家

 それは或雑誌の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し画《ゑ》だつた。が、一羽の雄鶏の墨画《すみゑ》は著しい個性を示してゐた。彼は或友だちにこの画家のことを尋ねたりした。
 一週間ばかりたつた後、この画家は彼を訪問した。それは彼の一生のうちでも特に著しい事件だつた。彼はこの画家の中に誰も知らない詩を発見した。のみならず彼自身も知らずにゐた彼の魂を発見した。
 或薄ら寒い秋の日の暮、彼は一本の唐黍《からきび》に忽《たちま》ちこの画家を思ひ出した。丈の高い唐黍は荒あらしい葉をよろつたまま、盛り土の上には神経のやうに細ぼそと根を露《あら》はしてゐた。それは又勿論|傷《きずつ》き易い彼の自画像にも違ひなかつた。しかしかう云ふ発見は彼を憂欝にするだけだつた。
「もう遅い。しかしいざとなつた時には……」

     二十三 彼女

 或広場の前は暮れかかつてゐた。彼はやや熱のある体にこの広場を歩いて行つた。大きいビルデイングは幾|棟《むね》もかすかに銀色に澄んだ空に窓々の電燈をきらめかせてゐた。
 彼は道ばたに足を止め、彼女の来るのを待つことにした。五分ばかりたつた後、彼女は何かやつれたやうに彼の方へ歩み寄つた。が、彼の顔を見ると、「疲れたわ」と言つて頬笑んだりした。彼等は肩を並べながら、薄明《うすあかる》い広場を歩いて行つた。それは彼等には始めてだつた。彼は彼女と一しよにゐる為には何を捨てても善《い》い気もちだつた。
 彼等の自動車に乗つた後、彼女はぢつと彼の顔を見つめ、「あなたは後悔なさらない?」と言つた。彼はきつぱり「後悔しない」と答へた。彼女は彼の手を抑《おさ》へ、「あたしは後悔しないけれども」と言つた。彼女の顔はかう云ふ時にも月の光の中にゐるやうだつた。

     二十四 出産

 彼は襖側《ふすまぎは》に佇《たたず》んだまま、白い手術着を着た産婆が一人、赤児を洗ふのを見下してゐた。赤児は石鹸の目にしみる度にいぢらしい顰《しか》め顔《がほ》を繰り返した。のみならず高い声に啼《な》きつづけた。彼は何か鼠の仔《こ》に近い赤児の匂を感じなが
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