フ生活であつた。神学を修めると共に、わしは引続いて凡ての下級の僧位を得た為めに、先達たちは、若いながらわしが、最後の、恐しい位階を得る資格がある事を認めてくれた。そしてわしの授位式は、復活祭の一週中に定められたのである。
わしはそれ迄に世間を見た事がなかつた。わしの世界は大学と研究室との壁に限られてゐたのである。尤も「女」と云ふ者があると云ふ事は、漠然と知つてゐたが、わしはわしの思想が此様な題目の上に止る事を許さなかつたので、わしは全く純真無垢な生活をつゞけて来た。一年に二度、わしは、年をとつた体《からだ》の弱い母親に逢ふが、此二回の訪問の中に、わしの外界に対する、凡ての関係が含まれてゐたのである。
わしは何も悔いる所はなかつた。わしは此最後の、避く可からざる一歩を投ずるのに、何等の躊躇もしなかつた。わしは唯、喜悦と短気とに満たされてゐたのである。婚礼をする恋人でも、わし以上の熱に浮かされた感激を以て、遅い時の歩みを数へはしなかつたであらう。わしは眠りさへすれば、必ず祈祷を唱へてゐる夢を見た。僧侶になるより愉快な事はない。かうわしは信じてゐた。元より国王になる気も、詩人になる気も無
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