手に妙子の襟髪《えりがみ》を掴《つか》んで、ずるずる手もとへ引き寄せました。
「この阿魔《あま》め。まだ剛情を張る気だな。よし、よし、それなら約束通り、一思いに命をとってやるぞ」
婆さんはナイフを振り上げました。もう一分間遅れても、妙子の命はなくなります。遠藤は咄嗟《とっさ》に身を起すと、錠のかかった入口の戸を無理無体に明けようとしました。が、戸は容易に破れません。いくら押しても、叩いても、手の皮が摺《す》り剥《む》けるばかりです。
六
その内に部屋の中からは、誰かのわっと叫ぶ声が、突然暗やみに響きました。それから人が床の上へ、倒れる音も聞えたようです。遠藤は殆ど気違いのように、妙子の名前を呼びかけながら、全身の力を肩に集めて、何度も入口の戸へぶつかりました。
板の裂ける音、錠のはね飛ぶ音、――戸はとうとう破れました。しかし肝腎《かんじん》の部屋の中は、まだ香炉に蒼白い火がめらめら燃えているばかり、人気《ひとけ》のないようにしんとしています。
遠藤はその光を便りに、怯《お》ず怯ずあたりを見廻しました。
するとすぐに眼にはいったのは、やはりじっと椅子にかけた、死人
前へ
次へ
全19ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング