その内に部屋の中からは、誰かのわつと叫ぶ声が、突然暗やみに響きました。それから人が床の上へ、倒れる音も聞えたやうです。遠藤は殆ど気違ひのやうに、妙子の名前を呼びかけながら、全身の力を肩に集めて、何度も入口の戸へぶつかりました。
板の裂ける音、錠のはね飛ぶ音、――戸はとうとう破れました。しかし肝腎の部屋の中は、まだ香炉に蒼白い火がめらめら燃えてゐるばかり、人気のないやうにしんとしてゐます。
遠藤はその光を便りに、怯《お》づ怯《お》づあたりを見廻しました。
するとすぐに眼にはひつたのは、やはりぢつと椅子にかけた、死人のやうな妙子です。それが何故《なぜ》か遠藤には、頭に毫光《ごくわう》でもかかつてゐるやうに、厳かな感じを起させました。
「御嬢さん、御嬢さん。」
遠藤は椅子の側へ行くと、妙子の耳もとへ口をつけて、一生懸命に叫び立てました。が、妙子は眼をつぶつたなり、何とも口を開きません。
「御嬢さん。しつかりおしなさい。遠藤です。」
妙子はやつと夢がさめたやうに、かすかな眼を開きました。
「遠藤さん?」
「さうです。遠藤です。もう大丈夫ですから、御安心なさい。さあ、早く逃げませう。」
妙子は
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