つたかは推察出来ると思ふ。
例へば、亜剌比亜《アラビア》人の形容を其儘《そのまま》翻訳して居るのに非常に面白いものがある。男女の抱擁《はうよう》を「釦《ボタン》が釦の孔《あな》に嵌まるやうに一緒《いつしよ》になつた」と叙《じよ》してある如き其の一つである。又、バクダッドの宮室庭園を写した文章の如きは、微《び》に入り細《さい》を穿《うが》つて居《を》つて、光景見るが如きものがある。第三十六夜(第二巻)の話にある Harunal−Rashid の庭園の描写などは其の好例《かうれい》である。
バアトンは又|基督《キリスト》教的道徳に煩《わづら》はされずして、大胆率直《だいたんそつちよく》に東洋的享楽主義を是認《ぜにん》した人で、随《したが》つて其の訳本も在来の英訳「一千一夜物語」とは甚だ趣《おもむき》を異《こと》にしてゐる。例へば、第二百十五夜(第三巻)に Budur 女王の歌ふ詩に次の如きものがある。
[#ここから2字下げ]
The penis smooth and round was made with anus best to match it,
Had it been made for cunnus' sake it had been formed like hatchet!
[#ここで字下げ終わり]
併し概して言ふと、下《しも》がかつた事も、原文が無邪気《むじやき》に堂々と言ひ放《はな》つてゐるのを其儘《そのまま》訳出してあるから、近代の小説中に現はれる Love scene よりも婬褻《いんせつ》の感を与へない。
脚註が亦《また》頗《すこぶ》る細密《さいみつ》なるものである。而《しか》も其の註が尋常一様のものでなく、バアトン一流のものである。単に語句の上のみでなく、事実上の研究にも及んでゐる。例へば Shahriyar 王の妃《きさき》が黒人の男を情夫《じやうふ》にする条《くだり》の註を見ると、亜剌比亜《アラビア》の女が好んで黒人の男子を迎へるのは他《ほか》ではない。亜剌比亜人の penis は欧羅巴《ヨオロツパ》人のよりも短い。然るに黒人のは欧羅巴人のよりも更に長く、且つ黒人のは膨脹律《ばうちやうりつ》が少なくて duration が長い。其の為めに亜剌比亜女が黒人を情夫に持つのであるといふ類《たぐひ》である。現にバアトンが計測した黒人の penis は平均長さ何|吋《インチ》だ抔《など》と註してある。(未完)
[#地から1字上げ](大正十三年七月)
[#地から1字上げ]〔談話〕
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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