O君の新秋
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)膝《ひざ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)白|足袋《たび》
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(例)[#ここから3字下げ]
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僕は膝《ひざ》を抱《かか》へながら、洋画家のO君と話してゐた。赤シヤツを着たO君は畳《たたみ》の上に腹這《はらば》ひになり、のべつにバツトをふかしてゐた。その又O君の傍《かたは》らには妙にものものしい義足が一つ、白|足袋《たび》の足を仰向《あふむ》かせてゐた。
「まだ残暑と云ふ感じだね。」
O君は返事をする前にちよつと眉《まゆ》をひそめるやうにし、縁先《えんさき》の紫苑《しをん》へ目をやつた。何本かの紫苑はいつの間《ま》にか細《こま》かい花を簇《むらが》らせたまま、そよりともせずに日を受けてゐた。
「おや、こいつはもう咲いてゐらあ。この………何《なん》と云つたつけ、団扇《うちは》の画の中にゐる花の野郎《やらう》は。」
×
海の音の聞えない、空気の澄んだ日の暮だつた。僕はやはりO君と一しよに広い砂の道を散歩してゐた。すると向うからお嬢さんが一人《ひとり》、生《い》け垣《がき》に沿うて歩いて来た。白地の絣《かすり》に赤い帯をしめた、可也《かなり》背《せい》の高いお嬢さんだつた。
「あ、あのお嬢さんは気の毒だなあ。長い脚を持て扱《あつか》つてゐる。」
実際その又お嬢さんの態度はO君の言葉にそつくりだつた。
×
O君は杖《つゑ》を小脇《こわき》にしたまま、或大きい別荘の裏のコンクリイトの塀に立ち小便をしてゐた。そこへ近眼鏡《きんがんきやう》か何かかけた巡査《じゆんさ》が一人《ひとり》通りかかつた。巡査は勿論|咎《とが》めたかつたと見え、白扇《はくせん》でO君を指さすやうにした。
「これです。これです。」
O君は多少|吃《ども》りながら、杖で二三度右の脚を打つた。右の脚は義足だつたから、かんかん云つたのに違ひなかつた。
「僕の家《うち》はそこなんですが、……」
巡査はにやにや笑つたぎり、何も言はずに通りすぎてしまつた。
×
家々の屋根や松の梢《こずゑ》に西日の残つてゐる夕がただつた。僕はキヤンデイイ・ストアアの前に偶然O君と顔を合せた。O君は久しぶりに和服に着換へ、松葉杖をついて来たのだつた。
「けふは松葉杖だね。」
O君は白い歯を見せて笑つた。
「ああ、けふはオオル(櫂《かい》)にしたよ。」
×
僕はO君の家《うち》へ遊びに行《ゆ》き、四畳半の電燈の下にいろいろのことを話し合つた。が、大抵《たいてい》は神経とかテレパシイとかの話だつた。Uと云ふ僕の友だちの一人《ひとり》はコツプに水を入れて枕もとへ置き、暫《しばら》くたつてそのコツプを見ると、いつか水が半分になつてゐる、或晩などはうとうとしてゐると、いきなり顔へ水がかかつた。しかし驚いて飛び起きて見ると、コツプだけは倒れずにちやんとしてゐる、――そんな話も出たものだつた。
それから僕等は散歩かたがた、町まで買ひものに出かけることにした。するとO君はいつもに似合《にあ》はず、肘掛《ひぢか》け窓の戸などをしめはじめた。のみならず僕にかう言つて笑つた。
「この窓に明《あか》りがさしてゐるとね、どうもそとから帰つて来た時に誰か一人《ひとり》ここに坐つて、湯でものんでゐさうな気がするからね。」
O君は勿論《もちろん》この家に自炊生活《じすゐせいくわつ》をしてゐるのである。
×
O君はけふも不相変《あひかはらず》赤シヤツに黒いチヨツキを着たまま、午前十一時の裏庇《うらびさし》の下に七輪《しちりん》の火を起してゐた。焚きつけは枯れ松葉や松蓋《まつかさ》だつた。僕は裏木戸《うらきど》へ顔を出しながら、「どうだね? 飯《めし》は炊《た》けるかね?」と言つた。が、O君はふり返ると、僕の問には答へずにあたりの松の木へ顋《あご》をやつた。
「かうやつて飯を炊《た》いてゐるとね、松は皆焚きつけの木――だよ。」
×
パナマ帽をかぶつたO君は小高い砂丘に腰をおろし、せつせとブラツシユを動かしてゐた。柱だけの白いバンガロオが一軒、若い松の群立《むらだ》つた中にひつそりと鎧戸《よろひど》を下《おろ》してゐる。――それを写生してゐるのだつた。松は僕等の居まはりにも二三尺の高さに伸びたまま、さすがに秋らしい風の中に青い松かさを実のらせてゐた。
「松ぼつくりと云ふものはこんな松にもなるものなんだね。」
O君はブラツシユを動かしながら、僕の方へ向かずに返事をした。
「女の子が妊娠《にんしん》したと云ふ感じだなあ。」
×
O君は本職の仕事の間
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