軍機関学校の教官となり、高浜《たかはま》先生と同じ鎌倉に住みたれば、ふと句作をして見る気になり、十句ばかり玉斧《ぎよくふ》を乞《こ》ひし所、「ホトトギス」に二句御採用になる。その後《ご》引きつづき、二三句づつ「ホトトギス」に載りしものなり。但しその頃《ころ》も既に多少の文名ありしかば、十句中二三句づつ雑詠に載《の》るは虚子《きよし》先生の御会釈《ごゑしやく》ならんと思ひ、少々尻こそばゆく感ぜしことを忘れず。

 作家時代。――東京に帰りし後《のち》は小沢碧童《をざはへきどう》氏の鉗鎚《けんつゐ》を受くること一方《ひとかた》ならず。その他|一游亭《いちいうてい》、折柴《せつさい》、古原艸等《こげんさうら》にも恩を受け、おかげさまにて幾分か明《めい》を加へたる心地なり、尤《もつと》も新傾向の句は二三句しか作らず。つらつら按《あん》ずるにわが俳諧修業は「ホトトギス」の厄介にもなれば、「海紅《かいこう》」の世話にもなり、宛然《ゑんぜん》たる五目流《ごもくりう》の早じこみと言ふべし。そこへ勝峯晉風《かつみねしんぷう》氏をも知るやうになり、七部集《しちぶしふ》なども覗《のぞ》きたれば、愈《いよいよ
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング