うは松山でございます。どうか松山の空にかかつた、かすかな虹《にじ》も御覧下さい。その下には聖霊を現す為に、珠数懸《じゆずか》け鳩《はと》が一羽飛んで居ります。
「勿論かやうなお姿にしたのは御意《ぎよい》に入らぬことでございませう。しかしわたしは御承知の通り、日本の画師《ゑし》でございます。日本の画師はあなた様さへ、日本人にする外《ほか》はございますまい。何《なん》とさやうではございませんか?」
「まりや」はやつと得心《とくしん》したやうに、天上の微笑《びせう》を輝かせた。それから又星月夜の空へしづしづとひとり昇つて行つた。……
玄関
わたしは夜寒《よさむ》の裏通りに、あかあかと障子へ火の映《うつ》つた、或家の玄関を知つてゐる。玄関を、――が、その蝦夷松《えぞまつ》の格子戸《かうしど》の中へは一遍《いつぺん》も足を入れたことはない。まして障子に塞《ふさ》がれた向うは全然未知の世界である。
しかしわたしは知つてゐる。その玄関の奥の芝居を。涙さへ催させる人生の喜劇を。
去年の夏、其処《そこ》にあつた老人の下駄《げた》は何処《どこ》へ行つたか?
あの古い女の下駄とあの小さい女の子の下駄と――あれは何時《いつ》も老人の下駄と履脱《くつぬ》ぎの石にあつたものである。
しかし去年の秋の末には、もうあの靴や薩摩《さつま》下駄が何処《どこ》からか其処《そこ》へはひつて来た。いや、履《は》き物ばかりではない。幾度もわたしを不快にした、あの一本の細巻きの洋傘《かうもり》! わたしは今でも覚えてゐる。あの小さい女の子の下駄には、それだけ又同情も深かつたことを。
最後にあの乳母車《うばぐるま》! あれはつい四五日|前《まへ》から、格子戸《かうしど》の中にあるやうになつた。見給へ、男女の履《は》き物の間におしやぶりも一つ落ちてゐるのを。
わたしは夜寒の裏通りに、あかあかと障子へ火の映《うつ》つた、或家の玄関を知つてゐる。丁度《ちやうど》まだ読まない本の目次《もくじ》だけざつと知つてゐるやうに。
[#地から1字上げ](大正十一年十二月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作
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