目戍《みまも》り居しに、彼、たちまちわが肩を抱《いだ》いて、悲しげに囁きけるは、「わが常に「いんへるの」に堕さんと思う魂は、同じくまた、わが常に「いんへるの」に堕すまじと思う魂なり。汝、われら悪魔がこの悲しき運命を知るや否や。わがかの夫人を邪淫《じゃいん》の穽《あな》に捕えんとして、しかもついに捕え得ざりしを見よ。われ夫人の気高く清らかなるを愛《め》ずれば、愈《いよいよ》夫人を汚《けが》さまく思い、反《かえ》ってまた、夫人を汚さまく思えば、愈気高く清らかなるを愛でんとす。これ、汝らが屡《しばしば》七つの恐しき罪を犯さんとするが如く、われらまた、常に七つの恐しき徳を行わんとすればなり。ああ、われら悪魔を誘《さそ》うて、絶えず善に赴かしめんとするものは、そもそもまた汝らが DS か。あるいは DS 以上の霊か」と。悪魔「るしへる」は、かくわが耳に囁きて、薄暮《はくぼ》の空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡薄《たんぱく》たる秋花《あきはな》の木《こ》の間《ま》に、消ゆるともなく消え去り了《おわ》んぬ。われ、即ち※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]惶《そうこう
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