べん事、あるべからずとは云い難し。されどわれら悪魔の族《やから》はその性《さが》悪なれど、善を忘れず。右の眼《まなこ》は「いんへるの」の無間《むげん》の暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光を麗《うるわ》しと、常に天上を眺むるなり。さればこそ悪において全からず。屡《しばしば》 DS が天人《てんにん》のために苦しめらる。汝知らずや、さきの日汝が懺悔《こひさん》を聞きたる夫人も、「るしへる」自らその耳に、邪淫《じゃいん》の言を囁きしを。ただ、わが心弱くして、飽くまで夫人を誘《さそ》う事能わず。ただ、黄昏《こうこん》と共に身辺を去来して、そが珊瑚《さんご》の念珠《こんたつ》と、象牙に似たる手頸《てくび》とを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺悔《こひさん》の涙をそそがんより、速に不義の快楽《けらく》に耽って、堕獄の業因《ごういん》を成就せん」と。われ、「るしへる」の弁舌、爽《さわやか》なるに驚きて、はかばかしく答もなさず、茫然としてただ、その黒檀《こくたん》の如く、つややかなる面《おもて》を
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