べん事、あるべからずとは云い難し。されどわれら悪魔の族《やから》はその性《さが》悪なれど、善を忘れず。右の眼《まなこ》は「いんへるの」の無間《むげん》の暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光を麗《うるわ》しと、常に天上を眺むるなり。さればこそ悪において全からず。屡《しばしば》 DS が天人《てんにん》のために苦しめらる。汝知らずや、さきの日汝が懺悔《こひさん》を聞きたる夫人も、「るしへる」自らその耳に、邪淫《じゃいん》の言を囁きしを。ただ、わが心弱くして、飽くまで夫人を誘《さそ》う事能わず。ただ、黄昏《こうこん》と共に身辺を去来して、そが珊瑚《さんご》の念珠《こんたつ》と、象牙に似たる手頸《てくび》とを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺悔《こひさん》の涙をそそがんより、速に不義の快楽《けらく》に耽って、堕獄の業因《ごういん》を成就せん」と。われ、「るしへる」の弁舌、爽《さわやか》なるに驚きて、はかばかしく答もなさず、茫然としてただ、その黒檀《こくたん》の如く、つややかなる面《おもて》を目戍《みまも》り居しに、彼、たちまちわが肩を抱《いだ》いて、悲しげに囁きけるは、「わが常に「いんへるの」に堕さんと思う魂は、同じくまた、わが常に「いんへるの」に堕すまじと思う魂なり。汝、われら悪魔がこの悲しき運命を知るや否や。わがかの夫人を邪淫《じゃいん》の穽《あな》に捕えんとして、しかもついに捕え得ざりしを見よ。われ夫人の気高く清らかなるを愛《め》ずれば、愈《いよいよ》夫人を汚《けが》さまく思い、反《かえ》ってまた、夫人を汚さまく思えば、愈気高く清らかなるを愛でんとす。これ、汝らが屡《しばしば》七つの恐しき罪を犯さんとするが如く、われらまた、常に七つの恐しき徳を行わんとすればなり。ああ、われら悪魔を誘《さそ》うて、絶えず善に赴かしめんとするものは、そもそもまた汝らが DS か。あるいは DS 以上の霊か」と。悪魔「るしへる」は、かくわが耳に囁きて、薄暮《はくぼ》の空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡薄《たんぱく》たる秋花《あきはな》の木《こ》の間《ま》に、消ゆるともなく消え去り了《おわ》んぬ。われ、即ち※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]惶《そうこう
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