りまき》や、うで玉子の出ている胴の間の赤毛布《あかゲット》の上へ転げ落ちた。
「冗談じゃあねえや。怪我《けが》でもしたらどうするんだ。」これはまだ、平吉が巫山戯《ふざけ》ていると思った町内の頭《かしら》が、中《ちゅう》っ腹《ぱら》で云ったのである。けれども、平吉は動くけしきがない。
すると頭《かしら》の隣にいた髪結床《かみゆいどこ》の親方が、さすがにおかしいと思ったか、平吉の肩へ手をかけて、「旦那、旦那…もし…旦那…旦那」と呼んで見たが、やはり何とも返事がない。手のさきを握っていると冷くなっている。親方は頭《かしら》と二人で平吉を抱き起した。一同の顔は不安らしく、平吉の上にさしのべられた。「旦那……旦那……もし……旦那……旦那……」髪結床の親方の声が上ずって来た。
するとその時、呼吸とも声ともわからないほど、かすかな声が、面《めん》の下から親方の耳へ伝って来た。「面《めん》を……面をとってくれ……面を。」頭と親方とはふるえる手で、手拭と面を外した。
しかし面の下にあった平吉の顔はもう、ふだんの平吉の顔ではなくなっていた。小鼻が落ちて、唇の色が変って、白くなった額には、油汗が流れている。一眼見たのでは、誰でもこれが、あの愛嬌のある、ひょうきんな、話のうまい、平吉だと思うものはない。ただ変らないのは、つんと口をとがらしながら、とぼけた顔を胴の間の赤毛布《あかゲット》の上に仰向けて、静に平吉の顔を見上げている、さっきのひょっとこの面ばかりである。
[#地から1字上げ](大正三年十二月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月8日修正
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