はつきりした形をとる為めに
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)中村《なかむら》さん

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(例)[#地から1字上げ](大正六年十月)
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 中村《なかむら》さん。
 私《わたし》は目下《もくか》例の通り断《ことわ》り切れなくなつて、引き受けた原稿を、うんうん云ひながら書いてゐるので、あなたの出された問題に応じる丈《だけ》、頭を整理してゐる余裕がありません。そこへあなたのよこした手紙をよみかけた本の間《あひだ》へ挾《はさ》んだきり、ついどこかへなくなしてしまひました。だから、私には答ふべき問題の性質そのものも、甚だ漠然としてゐる訣《わけ》です。
 が、大体《だいたい》あなたの問題は「どんな要求によつて小説を書くか」と云ふ様な事だつたと記憶してゐます。その要求を今便宜上、直接の要求と云ふ事にして下さい。さうすれば、私は至極《しごく》月並《つきなみ》に、「書きたいから書く」と云ふ答をします。之は決して謙遜《けんそん》でも、駄法螺《だぼら》でもありません。現に今私が書いてゐる小説でも、正に判然と書きたいから書いてゐます。原稿料の為に書いてゐない如く、天下の蒼生《さうせい》の為にも書いてゐません。
 ではその書きたいと云ふのは、どうして書きたいのだ――あなたはかう質問するでせう。が、夫《それ》は私にもよくわかりません。唯私にわかつてゐる範囲で答へれば、私の頭の中に何か混沌《こんとん》たるものがあつて、それがはつきりした形をとりたがるのです。さうしてそれは又、はつきりた形をとる事それ自身の中に目的を持つてゐるのです。だからその何か混沌《こんとん》たるものが一度頭の中に発生したら、勢《いきほひ》いやでも書かざるを得ません。さうするとまあ、体《てい》のいい恐迫観念《きやうはくくわんねん》に襲はれたやうなものです。
 あなたがもう一歩進めて、その渾沌《こんとん》たるものとは何《なん》だと質問するなら、又私は窮さなければなりません。思想とも情緒ともつかない。――やつぱりまあ渾沌《こんとん》たるものだからです。唯その特色は、それがはつきりした形をとる迄《まで》は、それ自身になり切らないと云ふ点でせう。でせうではない。正にさうです。この点だけは外《ほか》の精神活動に見られません。だから(少し横道
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