大正天皇の行幸し給へる最後の卒業式なりしなるべし。僕等は久米正雄《くめまさを》と共に夏の制服を持たざりし為、裸《はだか》の上に冬の制服を着、恐る恐る大勢《おほぜい》の中にまじり居たり。

     四

 僕はケエベル先生を知れり。先生はいつもフランネルのシヤツを着られ、シヨオペンハウエルを講ぜられしが、そのシヨオペンハウエルの本の上等なりしことは今に至つて忘るること能はず。

     五

 僕は確か二年生の時|独逸《ドイツ》語の出来のよかりし為、独乙大使グラアフ・レツクスよりアルントの詩集を四冊貰へり。然れどもこは真に出来のよかりしにあらず、一つには喜多床《きたどこ》に髪《かみ》を刈《か》りに行きし時、独乙語の先生に順を譲《ゆづ》り、先に刈らせたる為なるべし。こは謙遜《けんそん》にあらず、今なほかく信じて疑はざる所なり。
 僕はこのアルントを郁文堂《いくぶんだう》に売り金六円にかへたるを記憶す、時来《じらい》星霜《せいさう》を閲《けみ》すること十余、僕のアルントを知らざることは少しも当時に異ることなし。知らず、天涯のグラアフ・レツクスは今《いま》果《はた》赭顔《しやがん》旧の如くなりや否や。

     六

 僕は二年生か三年生かの時、矢代幸雄《やしろゆきを》、久米正雄《くめまさを》の二人《ふたり》と共にイギリス文学科の教授方針を攻撃したり。場所は一《ひと》つ橋《ばし》の学士会館なりしと覚ゆ。僕等は寡《くわ》を以て衆にあたり、大いに凱歌《がいか》を奏したり。然れども久米は勝誇《かちほこ》りたる為、忽ち心臓に異状を呈し、本郷《ほんがう》まで歩きて帰ること能《あたは》ず。僕は矢代と共に久米を担《かつ》ぎ、人跡《じんせき》絶えたる電車通りをやつと本郷の下宿《げしゆく》へ帰れり。(昭和二・二・一七)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング