「さまよえる猶太人」とは如何なるものか、彼は過去において、如何なる歴史を持っているか、こう云う点に関しては、如上《にょじょう》で、その大略を明にし得た事と思う。が、それを伝えるのみが、決して自分の目的ではない。自分は、この伝説的な人物に関して、嘗《かつ》て自分が懐《いだ》いていた二つの疑問を挙げ、その疑問が先頃偶然自分の手で発見された古文書《こもんじょ》によって、二つながら解決された事を公表したいのである。そうして、その古文書の内容をも併せて、ここに公表したいのである。まず、第一に自分の懐いていた、二つの疑問とは何であるか。――
第一の疑問は、全く事実上の問題である。「さまよえる猶太人」は、ほとんどあらゆる基督《キリスト》教国に、姿を現した。それなら、彼は日本にも渡来した事がありはしないか。現代の日本は暫く措《お》いても、十四世紀の後半において、日本の西南部は、大抵|天主教《てんしゅきょう》を奉じていた。デルブロオのビブリオテエク・オリアンタアルを見ると、「さまよえる猶太人」は、十六世紀の初期に当って、ファディラの率いるアラビアの騎兵が、エルヴァンの市《まち》を陥れた時に、その陣中に現れて、Allah akubar(神は大いなるかな)の祈祷を、ファディラと共にしたと云う事が書いてある。すでに彼は、「東方」にさえ、その足跡を止めている。大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架《くるす》を胸に懸けて、パアテル・ノステルを口にした日本を、――貴族の夫人たちが、珊瑚《さんご》の念珠《ねんじゅ》を爪繰《つまぐ》って、毘留善麻利耶《びるぜんまりあ》の前に跪《ひざまず》いた日本を、その彼が訪れなかったと云う筈はない。更に平凡な云い方をすれば、当時の日本人にも、すでに彼に関する伝説が、「ぎやまん」や羅面琴《らべいか》と同じように、輸入されていはしなかったか――と、こう自分は疑ったのである。
第二の疑問は、第一の疑問に比べると、いささかその趣を異にしている。「さまよえる猶太人」は、イエス・クリストに非礼を行ったために、永久に地上をさまよわなければならない運命を背負わせられた。が、クリストが十字架《くるす》にかけられた時に、彼を窘《くるし》めたものは、独りこの猶太人ばかりではない。あるものは、彼に荊棘《いばら》の冠《かんむり》を頂《いただ》かせた。あるものは、彼に紫の衣《こ
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