》いてとらさうずる。」とあつて、身にまとうた緋の袍を、「れぷろぼす」が上に蔽うたれば、不思議や総身の縛《いまし》めは、悉《ことごと》くはらりと切れてしまうた。山男の驚きは申すまでもあるまじい。されば恐る恐る身を起いて、学匠の顔を見上げながら、慇懃《いんぎん》に礼を為《な》いて申したは、
「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、生々世々《しやうじやうよよ》忘却つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、何として忍び出で申さうずる。」と云うた。学匠はこの時又えせ笑ひをして、
「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも果《はて》ず、やにはに緋の袍の袖をひらいて、「れぷろぼす」を小脇に抱《かか》いたれば、見る見る足下が暗うなつて、もの狂ほしい一陣の風が吹き起つたと思ふほどに、二人は何時《いつ》か宙を踏んで、牢舎を後に飄々《へうへう》と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を飛《とば》いて舞ひあがつた。まことやその時は学匠の姿も、折から沈まうず月を背負うて、さながら怪しげな大蝙蝠《おほかはほり》が、黒雲の翼を一文字に飛行《ひぎやう》する如く見えたと申す。
されば「れぷろぼす」は愈《いよいよ》胆を
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