tなぞと一しょに、並べ切れないほど並べてある。――母は上眼《うわめ》にその盆を見ながら、喘《あえ》ぐように切れ切れな返事をした。
「昨夜《ゆうべ》、あんまり、苦しかったものですから、――それでも今朝《けさ》は、お肚《なか》の痛みだけは、ずっと楽になりました。――」
父は小声に看護婦へ云った。
「少し舌がつれるようですね。」
「口が御|粘《ねば》りになるんでしょう。――これで水をさし上げて下さい。」
慎太郎は看護婦の手から、水に浸《ひた》した筆を受け取って、二三度母の口をしめした。母は筆に舌を搦《から》んで、乏しい水を吸うようにした。
「じゃまた上りますからね、御心配な事はちっともありませんよ。」
戸沢は鞄《かばん》の始末をすると、母の方へこう大声に云った。それから看護婦を見返りながら、
「じゃ十時頃にも一度、残りを注射して上げて下さい。」と云った。
看護婦は口の内で返事をしたぎり、何か不服そうな顔をしていた。
慎太郎と父とは病室の外へ、戸沢の帰るのを送って行った。次の間《ま》には今朝も叔母が一人気抜けがしたように坐っている、――戸沢はその前を通る時、叮嚀《ていねい》な叔母の挨拶に無造作《むぞうさ》な目礼を返しながら、後《あと》に従った慎太郎へ、
「どうです? 受験準備は。」と話しかけた。が、たちまち間違いに気がつくと、不快なほど快活に笑いだした。
「こりゃどうも、――弟さんだとばかり思ったもんですから、――」
慎太郎も苦笑した。
「この頃は弟さんに御眼にかかると、いつも試験の話ばかりです。やはり宅の忰《せがれ》なんぞが受験準備をしているせいですな。――」
戸沢は台所を通り抜ける時も、やはりにやにや笑っていた。
医者が雨の中を帰った後《のち》、慎太郎は父を店に残して、急ぎ足に茶の間へ引き返した。茶の間には今度は叔母の側に、洋一《よういち》が巻煙草を啣《くわ》えていた。
「眠いだろう?」
慎太郎はしゃがむように、長火鉢の縁《ふち》へ膝《ひざ》を当てた。
「姉さんはもう寝ているぜ。お前も今の内に二階へ行って、早く一寝入りして来いよ。」
「うん、――昨夜《ゆうべ》夜っぴて煙草ばかり呑んでいたもんだから、すっかり舌が荒れてしまった。」
洋一は陰気な顔をして、まだ長い吸いさしをやけに火鉢へ抛《ほう》りこんだ。
「でもお母さんが唸《うな》らなくなったから好いや
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