洗礼を受けられたことを、山上の教えを説かれたことを、水を葡萄酒《ぶどうしゅ》に化せられたことを、盲人の眼を開かれたことを、マグダラのマリヤに憑《つ》きまとった七つの悪鬼《あっき》を逐われたことを、死んだラザルを活かされたことを、水の上を歩かれたことを、驢馬《ろば》の背にジェルサレムへ入られたことを、悲しい最後の夕餉《ゆうげ》のことを、橄欖《かんらん》の園のおん祈りのことを、………
 神父の声は神の言葉のように、薄暗い堂内に響き渡った。女は眼を輝かせたまま、黙然《もくねん》とその声に聞き入っている。
「考えても御覧なさい。ジェズスは二人の盗人《ぬすびと》と一しょに、磔木《はりき》におかかりなすったのです。その時のおん悲しみ、その時のおん苦しみ、――我々は今|想《おも》いやるさえ、肉が震《ふる》えずにはいられません。殊に勿体《もったい》ない気のするのは磔木の上からお叫びになったジェズスの最後のおん言葉です。エリ、エリ、ラマサバクタニ、――これを解けばわが神、わが神、何ぞ我を捨て給うや?……」
 神父は思わず口をとざした。見ればまっ蒼《さお》になった女は下唇《したくちびる》を噛んだなり、神父
前へ 次へ
全12ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング