左手《ゆんで》に赤紙の扇《おうぎ》を開き、『人の若衆《わかしゅ》を盗むよりしては首を取らりょと覚悟した』と、大声《おおごえ》に歌をうたいながら、織田殿《おだどの》の身内に鬼《おに》と聞えた柴田《しばた》の軍勢を斬《き》り靡《なび》けました。それを何ぞや天主《てんしゅ》ともあろうに、たとい磔木《はりき》にかけられたにせよ、かごとがましい声を出すとは見下《みさ》げ果てたやつでございます。そう云う臆病《おくびょう》ものを崇《あが》める宗旨《しゅうし》に何の取柄《とりえ》がございましょう? またそう云う臆病ものの流れを汲《く》んだあなたとなれば、世にない夫の位牌《いはい》の手前も倅《せがれ》の病は見せられません。新之丞《しんのじょう》も首取りの半兵衛と云われた夫の倅でございます。臆病ものの薬を飲まされるよりは腹を切ると云うでございましょう。このようなことを知っていれば、わざわざここまでは来《こ》まいものを、――それだけは口惜《くちお》しゅうございます。」
 女は涙を呑みながら、くるりと神父に背を向けたと思うと、毒風《どくふう》を避ける人のようにさっさと堂外へ去ってしまった。瞠目《どうもく》した
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