ウすが》にその非凡な力を認めない訳に行かなかつたのは、この滔々《たうたう》たる氏の雄弁である。氏はありとあらゆる日本語や漢語を浚《さら》ひ出して、ありとあらゆる感覚的な美を(或は醜を)、「刺青」以後の氏の作品に螺鈿《らでん》の如く鏤《ちりば》めて行つた。しかもその氏の 〔Les Emaux et Came'es〕 は、朗々たるリズムの糸で始から終まで、見事にずつと貫かれてゐた。自分は今日でも猶、氏の作品を読む機会があると、一字一句の意味よりも、寧《むしろ》その流れて尽きない文章のリズムから、半ば生理的な快感を感じる事が度々ある。ここに至るとその頃も、氏はやはり今の如く、比類ない語《ことば》の織物師だつた。たとひ氏は暗澹たる文壇の空に、「恐怖の星」はともさなかつたにしても、氏の培《つちか》つた斑猫色《はんめういろ》の花の下には、時ならない日本の魔女のサバトが開かれたのである。――
 やがて又演奏の始まりを知らせる相図のベルと共に、我々は谷崎潤一郎論を切り上げて、下の我々の席へ帰つた。帰る途中で久米が、「一体君は音楽がわかるのかい」と云ふから、「隣の金と骨と皮と白粉とよりはわかりさうだ」と答
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