た。「或家庭」の昔から氏の作品に親しんでゐた我々は、その頃の――「その妹」の以後のかう云ふ氏の傾向には、慊《あきた》らない所が多かつた。が、それと同時に、又氏の「雑感」の多くの中には、我々の中に燃えてゐた理想蜍`の火を吹いて、一時に光焔を放たしめるだけの大風のやうな雄々しい力が潜んでゐる事も事実だつた。往々にして一部の批評家は、氏の「雑感」を支持すべき論理の欠陥を指摘する。が、論理を待つて確められたもののみが、真理である事を認めるには、余りに我々は人間的な素質を多量に持ちすぎてゐる。いや、何よりもその人間的な素質の前に真面目であれと云ふ、それこそ氏の闡明《せんめい》した、大いなる真理の一つだつた。久しく自然主義の淤泥《おでい》にまみれて、本来の面目を失してゐた人道《ユウマニテエ》が、あのエマヲのクリストの如く「日|昃《かたぶ》きて暮に及んだ」文壇に再《ふたたび》姿を現した時、如何に我々は氏と共に、「われらが心|熱《もえ》し」事を感じたらう。現に自分の如く世間からは、氏と全然反対の傾向にある作家の一人に数へられてゐる人間でさへ、今日も猶《なほ》氏の「雑感」を読み返すと、常に昔の澎湃《はう
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