より、大学でやる講義の方が、上等のやうな誤解を天下に与へ易いからね。それも実は新聞や雑誌へ出る方は、世間を相手にしてゐるんだが、大学でやる方は学生だけを相手にしてゐるんだから、それだけ馬脚が露《あらは》れずにすんでゐるんだらう。その安全なる出たらめが、一層箔をつけてゐるのは、どう考へたつて不公平だ。実際僕なんぞは無責任に、図書館の本を読まう位な了見で、大学にはいつてゐるんだから好いが、真面目に研究心でも起したら、一体どうすれば文学の研究になるんだか、途方にくれちまふのに違ひない。それや市河三喜さんのやうに言語学的に英文学を研究するんなら、立派に徹底してゐると思ふんだ。けれどもさうすると、シエクスピイアだらうが、ミルトンだらうが、詩でも芝居でもなくなつて、唯の英語の行列だからね。それぢや僕はやる気もないし、やつたつて到底ものにはなりウうもないだらう。勿論出たらめで満足してゐりや好いが、それなら御苦労にも大学へはいらずともの事だ。又美学なり史学なりの立ち場から、研究しようと云ふんなら、外の科へ籍を置いた方がどの位気が利いてゐるかわからない。かう考へて来ると、純文学科のレエゾン・デエトルは、まあ精々便宜的位な所だね。が、いくら便宜でも、有害の方が多くつちや、勿論ないのに劣つてゐると云ふもんだ。劣つてゐる以上は、廃止した方が正当だよ。――何、あれは中学の教師を養成する為に必要だ? 僕は皮肉を云つてゐるんぢやない。これでも大真面目な議論なんだ。中学の教師を養成するんなら、ちやんと高等師範と云ふものがある。高等師範を廃止しろなんと云ふのは、それこそ冠履顛倒《くわんりてんたう》だ。その理窟で行つても廃止さるべきものは大学の純文学科の方で、高等師範は一日も早くあれを合併してしまふが好い。」
 その頃の或日、古本屋ばかり並んでゐる神田通りを歩きながら、自分は成瀬をつかまへて、こんな議論をふつかけた事がある。

       四

 十一月もそろそろ末にならうとしてゐる或晩、成瀬と二人で帝劇のフイル・ハアモニイ会を聞きに行つた。行つたら、向うで我々と同じく制服を着た久米に遇つた。その頃自分は、我々の中で一番音楽通だつた。と云ふのは自分が一番音楽通だつた程、それ程我々は音楽に縁が遠い人間だつたのである。が、その自分も無暗に音楽会を聞いて歩いただけで、鑑賞は元より、了解する事も頗《すこぶる
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