こがん》氏に紹介されたのもその客間である。当時どう云ふ話をしたか、それはもう殆《ほとん》ど覚えてゐない。唯いつか怪談の出た晩、人つ子|一人《ひとり》通らない雨降りの大久保《おほくぼ》を帰つて来るのに辟易《へきえき》したことを覚えてゐる。
しかしその後《ご》は吉江氏を始め、西条君や森口君とはずつと御無沙汰《ごぶさた》をつづけてゐる。唯鎌倉の大町《おほまち》にゐた頃、日夏君も長谷《はせ》に居《きよ》を移してゐたから、君とは時々|往来《わうらい》した。当時の日夏君の八畳の座敷は御同様|借家《しやくや》に住んでゐた為、すつかり障子《しやうじ》をしめ切つた後《あと》でも、床《とこ》の間《ま》の壁から陣々の風の吹きこんで来たのは滑稽《こつけい》である。けれども鎌倉を去つた後《のち》は日夏君ともいつか疎遠《そゑん》になつた。諸君は皆健在らし。日夏君は時々中央公論に詩に関する長論文を発表してゐる。あの原稿を書いてゐる部屋へはもう床の間の風なども吹きこんで来ないことであらう。
[#地から1字上げ](大正十三年五月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)
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