変ずるの権能すらも有してゐない。夢は夢自らの意志を持つて居る。そして彼方此方と揺曳《えうえい》して、其意志の命ずるまゝに、われとわが姿を変へるのである。
一日、自分は隠々として、胸壁をめぐらした無底の大坑を見た。坑は漆々然として暗い。胸壁の上には無数の猿がゐて、掌に盛つた宝石を食つてゐる。宝石は或は緑に、或は紅に輝く。猿は飽く事なき饑を以て、ひたすらに食を貪るのである。
自分は、自分がケルト民族の地獄を見たのを知つた。己自身の地獄である。芸術の士の地獄である。自分は又、貪婪《どんらん》止むを知らざる渇望を以て、美なる物を求め奇異なる物を追ふ人々が、平和と形状とを失つて、遂には無形と平俗とに堕する事を知つた。
自分は又他の人々の地獄をも見た事がある。其一つの中で、ピイタアと呼ばるゝ幽界の霊を見た。顔は黒く唇は白い。奇異なる二重の天秤の盤《さら》の上に、見えざる「影」の犯した悪行と、未行はれずして止んだ善行とを量《はか》つてゐるのである。自分には天秤の盤《さら》の上り下りが見えた。けれ共ピイタアの周囲に群つてゐる多くの「影」は遂に見る事が出来なかつた。
自分は其外に又、ありとあらゆ
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