からぬが苦が[#「が」に「ママ」注記]笑ひをしてゐた

寝不足をしてゐるのかもしれない
夢の中に お[#「お」に「ママ」注記]かしいことがあつてこらへきれずに 笑ひを口もとに浮かべてしまつたのかも知れない

でも 胸は静かに息をしてゐた
広広した中に胸だけが大きく息をしてゐるのが見えた
2−A
月の匂ひの寂び[#「び」に「ママ」注記]しげな中に しつとりと春がとけこんで淋び[#「び」に「ママ」注記]しい者は自分の名を呼ぶ笛のやうな響をかすかに心に聞いた――

淋みしい 淋みしい――

何処かに一人ぐらゐは自分を愛してゐる者があるだらう――青年は山に登つて遠くを見つめてゐる
空と 地べたに埋もれてゐるのは
と 青年は自分の大きな手をひろげてつくづくと見入る
そして青年の言葉は彼の指さきから離れて 遠く高い煙突などにまぎれて極まりなく飛んで行つてしまふ

まもなく青年は彼の部屋に 寝台の上に弱々しく埋づまつてゐる
青年の夢は昨日からつづいてゐる
とぎれた心と心がむすびつかふ[#「ふ」に「ママ」注記]とする まつ白な夢だ

夜半 青年は夢に疲れて寝言を云つた
彼のさし伸べた手の近くにすすけたランプと 山で別れた言葉が幽霊のやうに立つてゐた
すすけたランプの古臭い微笑が さし伸べた彼の指さきに吸ひ込まれたやうに消えると部屋は再び
うす暗くなつて
いま 彼はひとり部屋の中に眠つてゐる
2−B
或る所に
月が出るやうになると 女が男のもとへ通つた
そして 夜の青じろい月を女は指した
黒い男と女の影のやうなものが、男と女の足もとのところから出て地べたを這つてゐた
紙のやうに薄い 白い女の顔が男の顔へ掩ひかぶさると――
月はそれを青く染め変へた
3−A
ゆらゆらと月が出た

月が空に鏡をはりつめた
高いのと遠いので虫のやうに小い[#「い」に「ママ」注記]さく人が写つてゐた
家家では窓をしめて燈をともした
娘は 安楽椅子に腰かけて歌をうたつた
この わるい幻想の季節の娘について 親達は心を痛めてゐたが
娘はその手招きを見てゐた
そして 少しづつかたむいてゆく心に何かしら望みをかけてゐた

娘は白粉をつけていたが青く見えた
娘はうつむいて 死んだ目白のことを思つてゐた
あわ[#「わ」に「ママ」注記]れでならなかつた
月にてらされて地べたに浅く埋づまつてゐることを思つた
娘は庭へ出た

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