尾形亀之助

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【テキスト中に現れる記号について】

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]
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 過ぎてしまつたことは、あきらめなければならないやうな心残りがあるとしてもどうにもしかたがないのだからしまつがいゝ。又、ざまあみろとばかりに、地の中へ込[#「込」に「ママ」の注記]んでしまつたやうな「去年」に舌を出すのも一興であるかも知れない。私は今郷里へ帰つて火[#「火」に「ママ」の注記]燵に入つてゐる。下半身は温いが背なかゞ寒い。
 過ぎてしまつたその年がよい年であつたにしてもわるい年であつたにしても、私は自分の生活に進歩などといふものがあるとは思つてゐないのだから「去年」をどうかう言ふつもりは更にない。たよりないことだが「今年こそ……」などと力むほど腹に力がない。自分がこの一ヶ年(勿論それ以前から)暮して来たにはちがひないが、何もかもはつきりとしてゐない。大概のことは忘れてしまつてゐるが、忘れそびれてゐることがらもある。で、その二、三を書きつけて序に忘れてしまはふ[#「ふ」に「ママ」の注記]。さうすればもう「去年」を誰へ呉れてもいゝ。
 全く、生きてゐることがなかなかめんどうなのはわかりきつてゐるが、それかと言つて何時まで生てゐるものか自分のことながら不明だ。

「全詩人聯合はその後どうなつたか」

 私は全詩人聯合の第一号発刊の直後から事務をとらなかつたばかりでなく、その後の状態にも通じてゐないわけがあるのだけれどもくはしく述べることが出来ない。丁度その時事情があつて私は妻と別れたのだ、私は家をたゝむ前に単身家から逃げ出してゐた。突然に起つたことなので、他の世話人へ事務を引きついだこと以外に何もしなくつてもいゝと思つたのだ。
 そして、妻とのことの一切の結末をつけて上京したのが七月の初めであつたが、しばらくは出歩く気もちにはなれなかつた。詩集などをもらつてもお礼さへしなかつたこともあると思ふ。私の手もとへとどかなかつた郵便物もあつたらう。
 かんべんしてもらひたい。

×

 妻と別れたことに就ては私はその間の事情を見てゐた二三人の人以外には語らなかつたが、私はそれ以後数人の友人から悔みを言はれた。勿論、別れるやうになつた事情を私よりも先に知つてゐた人達があつたのだし、近所の店屋などまでに感づかれてゐたやうな不しまつだつたのだから、何処からもれたものだらう。が、あまり広告してもらひたくない。でなければ、私は諸君があてられるやうな美人を意地にも妻にしてみせることになるかも知れない。――が、久しぶりで一人者になつたのだし、運でもよくなければ、さうやすやすとかうした味は試されないのだ。

×

 この一ヶ年私は二三篇の詩作しかしなかつた。五月頃には間違ひなく出せる筈であつた詩集も机の中にそのままになつてしまつた。太子堂から山崎の家へ引越したのが一昨年の十二月で、山崎の家をたゝんだのが去年の四月の初めであつた。それからちよつとばかり旅館にゐたり郷里へ帰つたり田舎の温泉にゐたりして、五つになる娘と二人で上京したのが先に述べたやうに七月の初めで、一ヶ月ほど友人の家にゐて駒沢の今の家を見つけたのであつた。
 去年の夏は雨ばかり降つてゐたが子供は汗をさかんにかいた。私は冬服しかなかつた。子供の家庭教師をたのんだが、その三十九になる婦人は一ヶ月でことはつ[#「つ」に「ママ」の注記]た。給料も高かつたし子供のことは何も知つてゐない人だつた。それに不幸であつたためか何んとなく不愉快な感じがしてならなかつた。顔も普通の人とはちがつてゐるやうな気さへするのだつた。その後に老婆が来たが、一切魚類も牛や※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の肉類も食べない人であつた。みそ汁が辛かつた。飯の度に憂鬱になつてしまつたので半月で帰つてもらつた。
 私は台所と洗濯と掃除と子供のことなどで一日中ひまのない男のママさんになつた。七間もある家に子供と二人でゐるので近所を不思議がらせた。子供を幼稚園にやつてみたが送り向ひ[#「ひ」に「ママ」の注記]が出来ないのでやめてしまつた。
 そんなことをして十月になつた。高橋新吉詩集の会のあつた晩、その頃上京してゐた母を送つて郷里へ帰つた。そしてすぐ上京するつもりであつたのが、子供が赤痢になつたので十一月過ぎても上京せずにゐる。もうこゝは寒い。親父に新調してもらつた外套の出来上るのを待つてゐる。子供もやつともとの体になつた。

×

 妻と別れた経験は生れて初めてゞあつた。
 噂やなにかでは私を酒のみといふものにしてゐるけれども一人飲むやうなことはほとんどない。だから一人でゐるときは半月も、時には半年も酒を飲まずにゐることがある。今度も、そんなことなどで私は酒をのむ折が一層なかつた。やけ酒を飲んでゐるやうに見かけられるのも気がひけるし、子供を直接めんどうみてゐる間は十分つゝしまなければならないと思つたわけだつた。が、私は近頃になつて考へ直した。子供を動物園などにつれて行きたいと思ひながら、ソーダを飲みに入つたカフエなどで酒の相手をさせるやうなことがあるやうになつた。子供も女給さんと遊ぶのを面白がつて、為替が来ると一緒になつてうれしがつた。だが、カフエへ出かけるのも月初めと月末の二三日であとは金がなかつた。女児の小便を不便だとつくづく思つた。チリ紙のなくなるやうなこともあつた。
 子供のことを考へると眼のさきが暗くなる。顔を見てゐると可愛い。泣くこともある。こんなことを書いてゐると、母親がゐなくなつて一ヶ月ばかりは毎晩のやうに泣かれて、自分が女親になりたいと一心に念じたことを思ひ出す。子供のことを考へ出すと、十年も二十年も後のことを想像しなければならないからやめる。

×
 兎に角私は今元気でもなければへこたれてゐるのでもない。つまり私は何んでもなくつてゐる。寝て待つてゐるが果報はなかなか来ない。
 書くことを書いてしまつたような気がする、読みかへしてみたが、これが私の書かうとしたことなのかどうかわからなくなつた。――読みかへしたのがわるい。書くことを書いてしまつたやうな気がしたゞけでいい。
[#地付き](詩神第五巻第一号 昭和4年1月発行)



底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社
   1975(昭和50)年6月10日初版第1刷
   1980(昭和55)年10月1日第3刷
初出:「詩神 第五巻第一号」
   1929(昭和4)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:高柳典子
校正:鈴木厚司
2006年9月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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終わり
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