れてゐたのですからたまりません。それとは知らずに働ら[#「ら」に「ママ」の注記]けば暮らしが楽になると思ひこんでゐた人達が大部分だつたのです。そんなわけですから、何も仕事をしないものは「なまけもの」と言はれて軽べつされたり、銭がなければ食べないなどという規則みたいなものさへあつたのです。
 新らしい王様が位についたときは勿論大変なさわぎだつたのです。旗も立てたしアーチなども作つてその下を通るやうにし、花火もたくさんあげたのです。「正しい数千年の歴史」なのですから、実にたくさんの祭日や記念日があり老王の退位の日もちやんと旗を立てゝ、来年からも同じ日に旗をたてることになつたことは勿論です。王様は、盗られてはいけないといふので立派な鉄砲や剣をもたした兵隊を国境へ守備に出しましたが、何処まで行つても国境がないのですから、これが如何に大変なことであつたかは、先に述べた博士達のことででもわかる筈です。しかし、新しい王様が少しでも国を減らそうなどとは思ひもよらなかつたことだけは、それから幾千年かの後そのまゝの広さの国を博士達が測量しや[#「や」に「ママ」の注記]うとしたことででもわかるのです。後から後からとひつきりなしに国境へ送られた兵隊達は二度と再び帰つては来ませんでした。何処で暮らすのも一生と考へ、かへつてせいせいしていゝと思つた兵隊も中にはゐたのでせうが、住みなれた街から再び帰らぬ旅に出るのですから、別れにくい心残りもあつたことはあつたのでせう。
 時間が経つてその王様も死に、その次の王様も死にました。そして、その次の王様も死んでしまつたことはあたりまへのことです。百年も千年もの間には次々の何人もの王様が死んだし、王様でない人達だつて死んだり生れたりしたのです。初めの頃はほんの二三人の大臣が王様のそばにゐたのでしたが、だんだんにその数が多くなつて「時計大臣」「紙屑大臣」などといふものまであるやうになつてしまつたので、数百人といふ大臣が王様の仕事の補佐をするやうになつたのです。
 時計大臣といふのは、自分の時計とちがつた時計を持つてゐる者から見つけ次第に罰金を取つたり時計をたくさん持つてゐるものに勲章を呉れたり、届けをしないで時計を止めてゐるものを罰したり、街の時計を正確に直して歩いたりするのが役目なのです。時には、金の時計は胸ポケツト銀のは胴ポケツト銅のはずぼんポケツト、それから鉄のは足首へなどといふ法律を定めたりもするのでした。又時計の定価をそれぞれ大きさや金属によつてきめなければならない重要な役もあるのですから時計会社の重い役にも就いてゐなければなりませんでした。紙屑大臣といふのは、主として紙屑やさんの取締りが役目なのです。が自分で屑拾ひに出ることもあるのです。このほかに「鼻糞大臣」これは鼻糞を乱棒に取つては衛生的でないといふので出来た大臣ですが、このほか色々の大臣がゐるのでした。つまらない大臣もあつたもんだと思ふでせうが、「紙屑大臣」だつて「鼻糞大臣」だつて高い位であるばかりではなく、金があつてもつてがなければなれないし、つてだけあつても金がなければどうにもならないのですから、なりたいと思ひながらなれずにゐるうちに死んでしまう人達だつてたくさんにゐたわけです。こんな風にして、王様自身ですることがなくなつてしまひましたが、王様がなければ大臣もないわけなのですからそこはぬけ目のない人達は、よつてたかつて王様は人ではなく、神様だといふことにしてしまひました。大臣達は、自分の思ふまゝの世の中をつくり上げると、今度はそれを保護しなければならない立場になりました。そこで色々な特種な法律をたくさんつくつて、足らなければその時に応じて又いくらでもつくることにしました。又、大臣の世襲といふことも問題になつたのでしたが、あまりよくない大臣はもつとよい大臣になつてからそれをきめた方が都合がよいと思つてゐたのでまとまらずにしまひました。
 それから、又、永い時間が経つて、さうした世の中が絶頂にゆきつくと、そこから又変な世の中の方へ動きかけました。「働らかなければ食へない」といふ男の前で「それはこのことなのか」と、餓死自殺をしてしまつてみせるのがゐるかと思ふと、「大臣」の間に党派が出来て別々に異つた名称をつけてゐたり、一部の人達が過飲過食を思想的にも避けるやうになると、たちまちそれが流行になつてしまつたり、さうかと思ふと本を読むほど馬鹿げたことはない、今までは金を出して本を買はされるばかりではなくその内容まで読まされてゐたのだが、これは向ふ[#「ふ」に「ママ」の注記]で読者へ読んでもらう[#「う」に「ママ」の注記]つぐなひとして渡す金高をわれわれが今まで仕払つてゐたあの「定価」といふところへ刷られてゐなければ嘘だ。そのほかに四五日分の日当さへ出してもらはなければならないものにさへ、われわれはうつかりして自分の方から金を出して買つてゐたのだ――といふことがすばらしい人気を呼んで本が一冊も売れなくなつたり、電車の行つたり来たりするのを見てゐた二人の子供の一人が「朝の一番最始[#「始」に「ママ」の注記]の電車はどつちから先に来るんだ」と言つたことに端を発して、朝に就ては世の学者誰一人として何も知らなかつたことを暴露してしまつたり、最低価額の下宿住ひの或る男が、そこの賄ひだけで死なずに十分生きてゆける筈なのに、時折りカフエーなどに出入してビールやトンカツを食ふということが、どういふわけのことであるのかといふことになつて、結局は熱心な学者に依つて生きたまゝ解剖されて脳と胃袋がアルコール漬の標本になつてしまつた等々々――のさうした状態もそのまゝずい[#「い」に「ママ」の注記]ぶん永くつゞくだけはつゞいたのです。
 そして、何時の間にか電車の数が住居者の人口より多くなつてゐたり、警官の数が警官でない者の五倍にもなつてゐるのにびつくりして、最善の方法としてそのまゝに二つのものゝ位置をとりかへたりするやうなことを幾度かくりかへした頃には、人達はてんでに疲れてしまつたのです。そして、あの大砲を打ちながら消息を絶つてしまつたりした博士達のゐた頃からでさへすでに数へきれないほどの時間が経過してしまつてゐるのに、まだこれから来る時間が無限だと聞かされた人達は何がなんだかまるでわからなくなりました。
 一方、何時の頃からか国の形も次第にわかり広さもわかつて彩色した立派な地図も出来、その国のほかにもまだたくさんの異つた国のあることを知ると、王様や大臣達は自分の国がさう広いやうには思はれなくなりましたが、その綺麗な地図の中に何一つ自分のものを持つてゐない人達はそれに何らの興味もないばかりでなく、地図の中の一里四方といふ面積が何を標準にしてきめた広さなのか更にけんとうもつかないのでありました。王様や大臣達は彼らが面積とは何であるか知らないのに驚きました。


後記

泉ちやんと猟坊へ

 元気ですか。元気でないなら私のまねをしてゐなくなつて欲しいやうな気がする。だが、お前達は元気でゐるのだらう。元気ならお前たちはひとりで大きくなるのだ。私のゐるゐないは、どんなに私の頬の両側にお前達の頬ぺたをくつつけてゐたつて同じことなのだ。お前達の一人々々があつて私があることにしかならないのだ。
 泉ちやんは女の大人になるだらうし、猟坊は男の大人になるのだ。それは、お前達にとつてかなり面白い試みにちがひない。それだけでよいのだ。私はお前達二人が姉弟だなどといふことを教えてゐるのではない。――先頭に、お祖父さんが歩いてゐる。と、それから一二年ほど後を、お祖母さんが歩いてゐる。それから二十幾年の後を父が、その後二三年のところを母が、それから二十幾年のところを私が、その後二十幾年のところを泉ちやんが、それから三年後を猟坊がといふ風に歩いてゐる。これは縦だ。お互の距離がずい[#「い」に「ママ」の注記]ぶん遠い。とても手などを握り合つては事実歩けはしないのだ。お前達と私とは話さへ通じないわけのものでなければならないのに、親が子の犠牲になるとか子が親のそれになるとかは何時から始つたことなのか、これは明らかに錯誤だ。幾つかの無責任な仮説がかさなりあつて出来た悲劇だ。
 ――考へてもみるがよい。時間といふものを「日」一つの単位にして考へてみれば、次のやうなことも言ひ得や[#「や」に「ママ」の注記]うではないか。それは、「日」といふものには少しも経過がない――と。例へば、二三日前まで咲いてゐなかつた庭の椿が今日咲いた――といふことは、「時間」が映画に於けるフヰルムの如くに「日」であるところのスクリンに映写されてゐるのだといふことなのだ。雨も風も、無数の春夏秋冬も、太陽も戦争も、飛行船も、ただわれわれの一人々々がそれぞれ眼の前に一枚のスクリンを持つてゐるが如くに「日」があるのだ。そして、時間が映されてゐるのだ。と。――
 又、さきに泉ちやんは女の大人猟坊は男の大人になると私は言つた。が、泉ちやんが男の大人に、猟坊が女の大人にといふやうに自分でなりたければなれるやうになるかも知れない。そんなことがあるやうになれば私はどんなにうれしいかわからない。「親」といふものが、女の児を生んだのが男になつたり男が女になつてしまつたりすることはたしかに面白い。親子の関係がかうした風にだんだんなくなることはよいことだ。夫婦関係、恋愛、亦々同じ。そのいづれもが腐縁の飾称みたいなもの、相手がいやになつたら注射一本かなんかで相手と同性になればそれまでのこと、お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。

父と母へ

 さよなら。なんとなくお気の毒です。親であるあなたも、その子である私にも、生んだり生まれたりしたことに就てたいして自信がないのです。
 人間に人間の子供が生れてくるといふ習慣は、あまり古いのでいますぐといつてはどうにもならないことなのでせう。又、人間の子は人間だといふ理屈にあてはめられてゐて、人間になるより外ないのならそれもしかたがないのですが、それならば人間の子とはいつたい何なのでせう。何をしに生れて来るのか、唯親達のまねをしにわざわざ出かけてくるのならそんな必要もないではないでせうか。しかもおどけたことには、その顔形や背丈がよく似るといふことは、人間には顔形がこれ以上あまりないとでもいふ意味なのか、それとも、親の古帽子などがその子供にもかぶれる為にとでもいふことなのでせうか。だが、たぶんこんなことを考へた私がわるいのでせう。又、「親子」といふものが、あまり特種関係に置かれてゐることもわるいのでせう。――私はやがて自分の満足する位置にゐて仕事が出来るやうにと考へ決して出来ないことではないと信じてゐました。そのことを私は偉くなると言葉であなたに言つて来たのですが、私はそれらのことを三四年前から考へないやうになり最近は完全に捨てゝしまひました。私の言葉をそのまゝでないまでもいくらかはさうなるのかも知れないと思はせたことは詫びて許していたゞかなければなりません。



底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社
   1975(昭和50)年6月10日初版第1刷
   1980(昭和55)年10月1日第3刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:高柳典子
校正:泉井小太郎
ファイル作成:
2008年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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