天井に雨漏りがしかけてきて、雨がやんだ。
次の日いくぶん眼ぶたの腫がひいてゐた。
朝のうちに陽が一寸出てすぐ曇つた。
庭の椿が咲きかけてゐた。
湯屋へ行くと、自分と似たやうな頭をした男が先に来て入つてゐるのだつた。昼の風呂は湯の音がするだけで、いつかうに湯げが立たない。そしてつゝぬけに明るい。誰かゞ入つて行つたまゝの乾いた桶やところどころしかぬれてゐないたゝきが、その男とたつた二人だけなので私の歩くのにじやまになつて困つた。私よりも若いのに白く太つてゐるので、湯ぶねを出ると桃色に赤くなつたりするのだつた。
湯屋を出ると、いつものやうに私のわきを自転車が通つた。
縁側に出て頸にはみ出してゐる髪をつんでゐると、友達が訪づ[#「づ」に「ママ」の注記]ねて来た。そして、金のない話から何か発明する話になんかなつた。
友達が帰ると、又友達がやつて来た。十二時過ぎて何日目かで風呂に入るつもりで出かけて来たのが遅くなつたと言つて、帰りに手拭と石鹸をふところから出して見せた。
あくびが出て、糊でねばしたやうに頭の後の方が一日中なんとなく痛かつた。一日が、ながい一時間であつたやうな日であつた。
どしや降りになる雨を床の中で聞いてゐると、小学校にゐた頃の雨の日の控室や、ひとかたまりになつて押されて二階から馳け降りる階段の跫音が浮かんだ。寝てゐる足が重く、いくども寝がへりをして眠つた。
風が吹いて、波頭が白くくづれてゐる海に、黒い服などを着た人達が乗つてゐるのに少しも吃水のない、片側にだけ自転車用車輪をつけてゐる船が、いそがしく砂地になつてゐる波打際へ着いたり沖の方へ出て行つたりしてゐるのを見てゐると、水平線の黒い雲がひどい勢ひでおほひ[#「ひ」に「ママ」の注記]かぶさつてくるのであつた。私はその入江になつた海岸の土堤で、誰か四五人女の人なども一緒に蒲団をかぶつて風を避けてゐた。そしてしばらくして、暗かつた蒲団の中から顔を出すと、もうそこには海も船もなくなつてゐて、土堤にそつて一列に蒲団が列らんでゐるのであつた。
明け方、小い[#「い」に「ママ」の注記]さな地震が通つて行つた。
雨はまだ朝まで降りつゞけてゐた。桜草の鉢をゆうべ庭へ出し忘れてゐた。
朝の郵便は家賃のさひ[#「ひ」に「ママ」の注記]そくの葉書を投げこんで行つた。
もうひと頃ほど寒くはなくなつた。
新聞は、雨の街を人力車などの走つてゐる写真をのせてゐた。
夕飯にしや[#「や」に「ママ」の注記]うかどうしや[#「や」に「ママ」の注記]うかと思つてゐると、――暖かいには暖かいが、と隣家のふたをあけたまゝのラヂオが三味線をひいた後天気予報をやり出した。
私は便所に立つて、小降りのうちに水をくんだ。そして、塩鮭と白菜の漬物を茶ぶ台に揃へて、その前にきちんと坐つた。
(暖かいには暖た[#「た」に「ママ」の注記]かいが、さて連日はつきりしない、北の風が吹いて雨が降りつのる。この天候は日本の東から南の海へ横たはつてゐる気圧の低い谷を、低気圧がじゆず[#「じゆず」に傍点]のやうに連らなつて進んでゐるためで、まだ一両日はこのまゝつゞく)――と、ラヂオは昨日と同じことを言ふのであつた。
学識
自分の眼の前で雨が降つてゐることも、雨の中に立ちはだかつて草箒をふり廻して、たしかに降つてゐることをたしかめてゐるうちにずぶぬれになつてしまふことも、降つてゐる雨には何のかゝはりもないことだ。
私はいくぶん悲しい気持になつて、わざわざ庭へ出てぬれた自分を考へた。そして、雨の中でぬれてゐた自分の形がもう庭にはなく、自分と一緒に縁側からあがつて部屋の中まで来てゐるのに気がつくと、私は妙にいそがしい気持になつて着物をぬいでふんどし一本の裸になつた。
(何といふことだ)裸になると、うつかり私はも一度雨の中へ出てみるつもりになつてゐた。何がこれなればなのか、私は何か研究するつもりであつたらしい。だが、「裸なら着物はぬれない――」といふ結論は、誰かによつて試め[#「め」に「ママ」の注記]されてゐることだらうと思ふと、私は恥かしくなつた。
私はあまり口数をきかずに二日も三日も降りつゞく雨を見て考へこんだ。そして、雨は水なのだといふこと、雨が降れば家が傘になつてゐるやうなものだといふことに考へついた。
しかし、あまりきまりきつたことなので、私はそれで十分な満足はしなかつた。
家
夕暮になつてさしかけたうす陽が消え、次第に暗くなつて、何時ものやうに西風が出ると露路[#「路」に「ママ」の注記]に電燈がついてゐた。そして、夜になつた。私は雨戸を閉めるときから雨戸の内側にゐたのだ。外側から閉めて、何処かへ帰つて行つたのではないのだ。
毎月の家賃を払ふといふので、貸してもらつてゐる家を自分の家ときめてゐる心安さは、便所はどこかと聞かずにもすみ、壁にかゝつてゐるしわくちやの洋服や帽子が自分の背丈や頭のインチに合ひずぼんの膝のおでんのしみもたいして苦にはならぬが、二人の食事に二人前の箸茶碗だけしかをそろへず、箸をとつては尚のこと自分のことだけに終始して胃の腑に食物をつめ込むことを、私は何か後めたいことに感じながらゐるのだ。まだ大人になりきらない犬が魚の骨を食ひに来る他は、夜になると天井のねずみが野菜を食ひに出てくる位ひ[#「ひ」に「ママ」の注記]のもので、台所はいつも小さくごみつぽく、水などがはねて、米櫃のわきにから瓶などが列[#「列」に「ママ」の注記]らんでゐる。又、一山十銭の蕗の薹を何故食べぬうちにひからびさしてしまつたかとは、すてるときに一ツが芥箱の外へころがり出る感情なのであろうか。
夜の飯がすんで、後は寝るばかりだといふたあいなさでもないが、私は結局寝床に入[#「入」に「ママ」の注記]いつて、夜中に二度目をさまして二度目に眠れないで煙草をのんでゐたりするのだ。ときには天井の雨漏りが寝てゐる顔にも落ちてくるのだが、朝は、誰も戸を開けに来るのではなくいつも内側から開けてゐるのだ。眼やになどをつけたとぼけた顔に火のついた煙草などをくはへて、もつともらしく内側から自分の家のふたを開けるのだ。
おまけ 滑稽無声映画「形のない国」の梗概
形のない国がありました。飛行機のやうなものに乗つて国の端を見つけに行つても、途中から帰つて来た人達が帰つてくるだけで、何処までも行つた人達は永久に帰つては来ないのでした。勿論この国にも大勢の博士がゐましたから、どの方向を見ても見えないところまで広いのだからこの国は円形だと主張する一派や、その反対派がありました。反対派の博士達は三角形であると言ふのでしたが、なんだか無理のありさうな三角説よりも円形説の方がいくぶん常識的でもあり「どつちを見ても見えないところまで云云……」などといふ証明法などがあるので、どつちかといふと円形だといふ方が一般からは重くみられてゐました。円にしても三角にしても面積をあらはさうとしてはゐるのですが、確かな測量をしたのではないのですからあてにはなりませんでした。或る時、この二つの派のどちらにもふくまれてゐない博士の一人が、突然気球に乗つて出来るだけ高く登つて下の方を写真に写して降りて来てずいぶん大きなセンセイシヨンを起しましたが、間もなく、その写真に写つた馬のやうな形は国ではなく、雲が写つたのではないかといふ疑問が起りました。そこでひきつゞいて円形派の博士達に依つて同じ方法で試め[#「め」に「ママ」の注記]されましたが、今度は尾の方が体よりも大きい狐の襟巻のやうなものが写つてゐました。三角派だつてじつとはしてはゐませんでした。やはり同じ方法で写真を写して降りて来たのですが、写つている棒のやうなものが写真の乾板の両端からはみ出してゐたので、どうにもなりませんでした。
又、これも失敗に終つたのでしたが、大砲の弾丸に目もりをした長い長いこれ位ひ[#「ひ」に「ママ」の注記]長ければ国の端にとゞいても余るだろうと誰もが思つたほど長いテイプを結びつけて打つた博士がありました。が、まだいくらでもテイプが残つていたのに大砲の弾丸は八里ばかり先の原つぱに落ちてゐたのでした。これはあまり馬鹿げているといふので、新聞の漫画になつて出たりしたので、真面目なその博士は「これからです」と訪問した新聞記者に一言して、青い顔をして第一回の距離をノートに書きとめて更にそのところから第二回の弾丸を打ちました。この博士は同じことをくりかへして進んで行つてしまつたのです。始めのうちは通信などもあつたのですが、次第にはその消息さへ絶えてしまつて、博士が第一回の発砲をしてから五年も経過した頃は、街の人達は未だにその博士が発砲をつゞけながら前進してゐることを忘れてしまひました。気の毒なのはこの博士ばかりではないのですが、出発が出発なだけに困つた気持になつてしまひます。
又、かうした現実派の他に無限大などと言ふ神秘主義の博士達のゐたことも事実でした。この博士達は時間などは度外視してゐたのでせう。雑誌や新聞の紙面に線なんかを引いたりして、測り知れないほどの面積であつても決して無限ではないとかあるとか、実に盛んな論争を幾百年つゞけてきたことであらう。又、一ヶ年の小麦の総収穫から割り出して国の広さを測り出さうとしたアマチアもありましたが、計算の途中で麦畑でない地面もあるのに気がついて中止しました。勿論汽車などもすでにあつたのですが、創設以来しきりなしに先へ先へと敷設してゐても、その先がどの位ひ[#「ひ」に「ママ」の注記]あるのかは博士達のそれと同じやうに全くはてしないばかりでなく、最初に出て行つたその汽車は今では何処へ行つても見られないやうな旧式な機関車なので、未だにそれが先へ先へと進んでゐることを思ふと、どう判断していゝのかわからなくなるのです。それに、レールの幅が昔の三倍にもなつてしまつてゐるのですから、もし最初の人達がひきかえへして来ることになつて又幾百年かかるのはいゝとしても、何処かでレールの幅が合はなくなつてゐるにきまつてゐることが心配です。
そこには海もありしたがつて港もあるのですが、海は陸よりもゝつとたよりない成績しかあがりませんでした。どうしてこんな国が出来てしまつたかは大昔にさかのぼらなければなりません。大昔といつてもただの大昔ではなく一番の大昔なのです。千年以上も前なのか二万年も以前のことなのかわからないのです。その大昔に、何処か或る所に一人の王様がゐて、だんだんに年寄になつて、三人か四人の王子達もすつかり大人になつてゐたのです。そこで、一日王様は王子達を集めてそのうちから誰かを一人の世嗣に定めることになりました。背の高さをはかつてみたり、足の大きさを較ら[#「ら」に「ママ」の注記]べてみたりしてみましたが、それでは誰にきめてよいのか王様にはわかりませんでした。で、一人々々に「お前はどんな王国が欲しいか」と問ひますと、百までしか数を知つてゐなかつた王子は「百里の百倍ある国が欲しい」その次の王子は「百里の百倍ある国の千倍欲しい」などと答へたのですが、豆ほどの小い[#「い」に「ママ」の注記]さな円を床に画いて「この外側全部欲しい」と答えた王子とはとても匹敵しませんでした。王様もその答へにはすつかり感心してしまつて、すぐ世嗣はその王子と決定したのです。その頃は貯金などといふものが流行して、円そのものに一日いくら月幾分などと銭が少しづつ子を生むやうに利子がついたものです。で、その利子の殖えるのをうれしがつて銭を舌[#「舌」に「ママ」の注記]めてみたり利子が異数に加算される方法を発明したり、大勢の人達の貯金を上手に利用したりする社[#「社」に「ママ」の注記]会があつたのです。その王子が最もよくばつてゐたといふので世嗣に選ばれたことは言ふまでもないことです。全く、銭のない人達こそいゝ面の皮だつたのです。いくら働ら[#「ら」に「ママ」の注記]いても、働ら[#「ら」に「ママ」の注記]けば働くほどもらつた賃金では足らぬほど腹が空くやうな仕掛に、うまく仕組ま
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