である私にも、生んだり生まれたりしたことに就てたいして自信がないのです。
人間に人間の子供が生れてくるといふ習慣は、あまり古いのでいますぐといつてはどうにもならないことなのでせう。又、人間の子は人間だといふ理屈にあてはめられてゐて、人間になるより外ないのならそれもしかたがないのですが、それならば人間の子とはいつたい何なのでせう。何をしに生れて来るのか、唯親達のまねをしにわざわざ出かけてくるのならそんな必要もないではないでせうか。しかもおどけたことには、その顔形や背丈がよく似るといふことは、人間には顔形がこれ以上あまりないとでもいふ意味なのか、それとも、親の古帽子などがその子供にもかぶれる為にとでもいふことなのでせうか。だが、たぶんこんなことを考へた私がわるいのでせう。又、「親子」といふものが、あまり特種関係に置かれてゐることもわるいのでせう。――私はやがて自分の満足する位置にゐて仕事が出来るやうにと考へ決して出来ないことではないと信じてゐました。そのことを私は偉くなると言葉であなたに言つて来たのですが、私はそれらのことを三四年前から考へないやうになり最近は完全に捨てゝしまひました。私の言葉をそのまゝでないまでもいくらかはさうなるのかも知れないと思はせたことは詫びて許していたゞかなければなりません。
底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年6月10日初版第1刷
1980(昭和55)年10月1日第3刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:高柳典子
校正:泉井小太郎
ファイル作成:
2008年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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