今|漸《や》っとうろつき[#「うろつき」に丸傍点]拾ひが片付いたところだと云って直ぐに来て呉れた。
 巣掻《すが》いた蚕がさわぎ立ってゐるので、志津はおときと二人で目が廻る程|忙《せは》しなく動きつづけた。廂の軒で条桑育にした蚕には、栗の木の枝を刈って来て、それにとまらせてはたいた。それを片端から今牧に移して棚へさした。
「余っぽどまめな虫だこと! これなら六貫平均出るかも知れん……、お宅ぢゃ白彊病がすくなかったで!」
 おときは虫を拾ひ乍らそんな事を云った。
「そんなに出ますものかな! 全部でそんな事かも知れん! いきなり飼ひをして、それに桑がへぼい[#「へぼい」に丸傍点]でとても駄目な!」
「本当に桑がへぼくちゃ駄目だなむ、貫数より何より糸分《いとぶ》がないで……わしら方あたりぢゃ生産へだしてもいつでも糸量で引かれちまって!」おときは云った。
「かのゑさんとこはいつでも上手で沢山お取りるなむ!」志津がさう云ふとおときはフンと笑って云った。
「どうだか判るもんかな! あそこぢゃいつでも種を胡麻化すで……春蚕だって八十五貫だがとって十枚だ十枚だってかのゑさは云っとったけれど、ほんとは十一枚掃いたんだっちふことだで……」
 蚕種枠製一枚について何貫取るかといふ事は、凡そどこでも競争になってゐた。米と異って蚕の方は成る丈お互ひに自慢し合った。春蚕だと種類にもよるが大抵八貫前後取れるのだが、夏蚕になるとさうはゆかなかった。
 志津は是程に骨を折ってそれで何貫取れるかと思ふと心細かった。「蚕さへあがったら?」さうあてにしきってゐるのだが、考へて見ればいくらの収入になるのでもなかった。
 さしづめ何に振当てていいか見当もつかぬ程手許が逼迫してゐる。
 食ひ盛りの久衛も清作もハラハラする程よく食べた。志津は屡々さもしい心に苦しめられた。
「ひと休みせまいかな!」
 お巣掻きが一片附いた。おときはさう云って腰をのばした。光線の入らぬ土蔵の中は真夏でも案外涼しかった。志津はお茶を入れる為炉端で火を焚きつけた。穢く汚れた炉端の蓆におときは坐った。
 壁に一枚紙片が貼られてある。
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   森田区婦人会申合
一、現今不況に際しお互ひに出来る丈質素倹約を守りませう
一、お茶菓子廃止、その他冗費は一切はぶき自給自足でゆきませう
一、麦・蕎麦・栗・豆・大根の副食物を多く食べ、なるべく米を浮かす工夫をしませう
 それは主婦の責任であります
一、したがって、畠仕事に精だし間作を怠らぬやうにしませう
一、毎月米五合、雑巾一枚づつ集めて貯金組合を作りませう
  どちらか一方へは必ず加入すること
  雑巾は縦一尺、横八寸、糸は二重糸にて刺すこと
[#ここで字下げ終わり]
 おときは無感動な顔でそれを読んでゐた。
 是は春の婦人会の時提案があったもので、松下のおまきや吉本屋の嫁が主唱者だった。
 米は精米所へ、雑巾は朝日館へ売却の契約が出来て実行しはじめたものだった。
「おときさん、今月の分はもうおだしつらなむ?」
「お米の方だけなむ!雑巾縫はずもこちとらにゃァ手間も布もありませんで……。ためになることは解っとるけど仲々そこがやかましくて……」
 志津はだまってうなづいた。此の村には製糸工場がないので村内の者は、大抵他村の生産組合へ加盟して供繭してゐるのだった。おときの家でも朝日館の組合員だった。
 志津は今度の繭を此処で村廻りの繭買人に壱円八十銭位の馬鹿値で叩き買ひにされるより生産へ持って行きたかった。生産では春蚕を二円の仮渡しをしたといふ事だから、庄作の運送に頼んでやってもいくらか浮く勘定だった。それにはおときに頼んで、おときの家の名義を借りて出すのが得策だった。
 志津はそのことを話して見た。
「それが?」おときは顔を歪めるやうにして云った。
「なんしょわしら方ぢゃ生産に借金が有って、春蚕だって無理に借りて来とるやうなわけで今度の夏蚕も飼って見る丈でくる分は更にない……もらふどこぢゃない。こちらからよっぽどお足《た》しが行かにあ勘定にならん……受判頼んで先へ先へ借りてくるもんで、順に困るばっかりな!」
 おときは深い溜息をついた。おときの家では、蚕も大取りだしそれに娘が二人も生産の工女になってよく稼ぐので楽にならねば嘘なのだが――。
「ふんと働き足りんのだかなんだか困る困るっていふより他の事は云ったことがない……お盆が来るに着物がねえって、清子ら悲しがるで、わしもやる瀬がねえがどう思っても仕ようないもの!」
 おときはさう云って寂しくわらった。
          九
 降りつづいてゐた雨が夕方から激しく風を呼んで暴風雨となったが夜明となってやうやくをさまった。野分が過ぎて山の上の部落はにはかに冷々と秋らしくなった。
 昨夜の大雨で森田家の墓地には、裏手の山からおびただしく土砂が押し出して来て、そこら中目もあてられぬ程の荒れ様だった。水溜りがいっぱい出来て、おまけに利国の墓には盛土の横腹にドカンとした大穴があいた。そこから水が流れ込んだと見え、屋根は引っくり返り墓標がガサリと落ち込んで了った。
 その朝早く、朝草刈に近道を抜けて来た、おときが見付けて「おお、怖っかねえ!」と魂消た声をだした。そして小さい男の児を急《せ》き立てて、「さァ、さっさと歩かんと利国さのお化が出てくるぞ!」とおどかした。
 おときは坂の上から志津を呼んでそのことを話して行った。
 翌日になって志津は隣の源吉を頼んで墓地の掃除をはじめた。先祖代々の物々しい墓石が列を作って幾列もならんでゐる。広い地所丈に荒れ切って落莫としたものだった。
 一番前列に、善次郎、お安、おたけ、紋治、そして利国のがならんでゐる。石碑が立たぬのでどれも形許りの土饅頭で、墓標の文字が辛うじて読めた。
「おばあさまのが一番しっかり出来とる」
 源吉はさう云った。まだ何んと云っても、お安の死んだ頃には、森田家にも残りの光があったのだ。それが最後の利国の場合には、まるで形許りのものだった。
 隣部落から頼んだ禰宜様が、汚れた白足袋を穿いたままで、通り一遍の祝詞《のりと》をあげたきり、なにしろ北風の寒い日で吹きさらしの墓場にはゐられないので、お義理に集った部落の者達もそこそこに引き揚げて了ったのだった。
 源吉は志津を相手にして、土を連びだしたり盛土を盛り直して屋根をつくろったりした。学校から帰って来た久衛と秀とが墓場に上って来てから急に賑かになった。源吉は自分の藪から伐って来た青竹で作った竹筒を一本づつ墓の横へ立てた。
「なんでたかつっぽ立てるの?」秀は父親に聞いた。
「花を立てて進ぜるんだ。仏さまにな」
「お父っさまに灯をつけて進ぜるんだに」
 志津は久衛に云った。
「灯を進ぜるってどうやるんな?」
「いつか新ちゃんとこでしたやうにかな? 蝋燭をうんとつけて……」二人の子供は同時に聞いた。
「うん、八百燈をな」
「どこへ灯をつけるんな?」
「ここのまはりから街道の方へつけて行くやうにするだな」
 源吉は志津に計るやうに云った。
 うるさく問ひ質した秀と久衛はその時思はず顔を見合せた。
「やア!」といかにも悦ばしさうな声を上げた。
「やア、灯をつけるんだってよォ……」
 二人の子供は叫び乍ら縺れるやうにして、街道の方へ駆けて行った。
 昔はこの部落でも残らず仏式だったが、禰宜様の方が手軽で金が掛からぬので、今は大抵の家で神葬祭になった。
 それでも古くからの習慣で、盆になると墓地に秋草の花を供へ、新盆の家では夜になるのを待って墓地の周囲に灯を点けて祭った。子供は盆がくるのを待ちきった。「盆がすんだら何待ちる……」さう果敢なく楽しんで製糸工場から帰ってくる少女達は唄った。
 源吉はひと休みして、傍らの朽ちた木株に腰を下した。煙管を出して一服吸ひつけたがふと気が付いたやうに、
「今年は新盆が三つあるかなあ?」と云った。
「こちらと新屋の娘と中屋の老爺と……、窪の由松さは春だったで去年済んだな!」
「開土の子も今年ぢゃなかったかしら?」
「ほんにあそこの坊もさうだったかしらん……そいぢゃ今年は四つもある。こんな年も滅多ねえな。みんな泣き葬ひばっかりで――。まあ中屋のおぢいは年が年だで順当だが……。そいぢゃ今年は方々の灯が見えるなあ!」源吉は煙管を腰にはさみ乍ら立ち上って、道具をかた付けはじめたが、「此処は場所が高いでどこの灯より派手て見えることずら……」
 さう独り言のやうに呟いた。
 志津は水を汲むために坂を下りて行った。
 お盆は明後日に迫ってゐた。
[#地から6字上げ]一九三〇・一二
[#地から3字上げ](「つばさ」第二巻 第四号)



底本:「定本金田千鶴全集」短歌新聞社
   1991(平成3)年8月20日発行
初出:「つばさ 第二巻第四号」つばさ発行所
   1931(昭和6)年4月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2009年3月26日作成
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