ば尚増える借金だ。
「そいだがかうなりゃ借りた者の方が強いぜ!」
「何んちゅったって返せんものは返せんと度胸を据ゑ込んで了ふでなあ……ハハハハ……」
留吉は酔の廻った眼を据ゑる様にして云った。
「本当《ふんと》だなあハハハハ……」
皆相槌を打って笑ったが勝太は一寸硬ばった顔をした。(俺らとは働き様が違ふぢゃないか!)と云ふ腹があるのだった。
「これでお蚕に追はれとるうちゃァ何んと云ってもいいが……」宇平は心細さうにぼそりと云った。
その不安は誰の胸にもあった。
冬の稼ぎは主として炭焼である。炭を焼くと云っても山を持たぬから立木を一山いくらで買って始めねばならぬ、それに近頃は規則が喧しくなって、俵にする萱からして買ひ入れねばならぬ。一日二俵焼と見て、それで上炭五貫匁俵この春の相場で四十銭である。
女や子供は炭俵の駄賃負ひをする。峠を越えて隣村迄持って行き、帰途には米を買って背負ってくるのが普通である。
女でも合田のおときなぞは力持ちだから、体の弱い亭主に二俵背負はせ、自分は三俵背負ってさっさと登る。そして峠へ先に登り詰め荷を下しもう一度引き返して来て亭主の荷を頂上迄背負ひ上げるといふ遣り方である。それで駄賃が一俵十五銭と云ふところ。
繭相場次第で秋にはどこ迄落ちるか見当がつかぬと聞いては最早手段がなくなって了ふ。
「佐賀屋の小父さま居る?」
「居る!」勝太は自分で答へたが戸間口の方を透かし乍ら、
「義公か、なんだ?」と云ったが「お前まあ一寸借りてあがれよ!」と坐ったままである。
「義一っさ、おあがりな!」暗い井戸端で洗濯してゐた、留吉の女房が入りしなに挨拶した。
「義一っさは酒を飲まんでお茶でも入れるに!」
「お前、酒は駄目か? お父まの子ぢゃねえな」
「今とてもいい相談がはじまっとるとこよ……」
アハハハハ……と笑声が湧いた。
「直樹さ帰って来たっちふなむ、なんに来たんずら?」義一は新蔵の横へ坐り乍ら聞いた。
「うん、もう十日ばか来とる。あいつも何をしとるんだか……名古屋の方だってどうせいいこたあねえらよ。今時ぶらぶらしとるやうぢァ!」
「俺らも此処に居ったってつまらんでどっかへ行かっと思っとる!」
義一はさう云ひ出した。
「俺ァどうせ学問の方は駄目だで……、老爺と二人で食へさへすりゃいいんだで!」
「お前食ってそこが出て行けさへすりゃ結構よ!」
勝太は沁んみりした調子で云った。
「ふんとだなあ!」宇平はさう合槌を打った。又生活のことに話が落ちて行く。――
勝太は義一の年頃の事を思って見た。
「俺ァの時分には、朝飯前に六把の朝草はきっと刈ったんだでなあ――。それで夜業にゃ草鞋なら二足、草履なら三足とちゃんと決っとったもんだ!」
「……うん、そりゃあ昔の事思ふと今の者はお大名暮しだ。昔の事云ふと若者は機嫌が悪いで俺ァ黙っとるが……」
宇平は呟くやうに云った。
「だが今日日ぢゃ草鞋作って穿《は》く代りに靴足袋買って穿かんならんやうに世の中が出来とるでなあ! なんでもその通りだ!」
冬の稼ぎの石灰俵編みで、女手で夜業迄編んでやっと十四五枚のもの、それが二十五枚で一梱だが壱円札を握るには六梱編まねばならぬのだ。その血の出る思ひの壱円札をひょっと盗まれて了った時は悲し過ぎてぼんやりしたと、お袋が折々話した事を勝太は思ひ出してゐた。もう一度さういふ乏しい時世が返って来たのだ。――
「俺らもどうかへえ、馬鹿働きが出来んやうになったよ。不精《ずくなし》になっちまって……骨仕事がどうも厭《や》ァになった!」
勝太はそれをしんから感じて沁々云った。
「そいでも色気はあるだで?」新蔵が笑った。
「色気やなにやァあらずかよ! 耄碌しちまって、そんなものは爪の垢ほども有りゃせん!」
ハハハハハ……と、勝太は笑ったが皺の深い手でツルリと撫ぜた。
新蔵は義一の肩をつついた。
「それよかお前、早くお嬶《か》っさま貰へよ!」
「貰へたって、俺ァまり来て呉れ手がねえよ!」
「さう云ふなよ、隣家に丁度いいのが有るぢゃねえか。君子さを貰へよ?」
「君子さがどうして来て呉れず! 俺とは身分がちがふもん!」
「なんで?」相手が案外真面目に出たので新蔵も真顔になったが、
「藤屋あたりが威張るとこぁ薩張りねえぢゃないか、元が有ったってなんにも無しになりゃ俺らと同等ぢゃねえか!」
熱心になって云った。
「なあ! 森田様だ大屋様だって威張りくさったって潰れりゃ、小屋になっちまったぢゃねえか!」
「ふんとに森田も小屋になっちまったな!」
勝太は頷いた。
「岡島もあんなざまになるし大沢もつぶれたし大屋衆はみんな引張り合っとるで、ひとり倒れりゃ総倒れだ!」
「お志津まもふんとに気の毒なことになったなむ!」女房のまつゑがさう初めて口を出した。
「春時分、喜八郎さがえらい大病したってなむ!。肋膜かどっかで死にさうだったって!」
「うむ、弱り目に祟り目さ。だが森田も変りや変ったもんだな!」
勝太は何か動かされたやうな云ひ方をした。
「死んだお袋がよう云ったもんだ、稲|扱《こはし》休みに南瓜《かぶちゃ》の飯を煮とったら、森田のお安様が年貢取りに来て、火端へ上ってお出で、南瓜煮えたけ! さう云って一つ突つき乍ら、おめえ米なんちふものはな、有りゃ有って、始終水車小屋へ通はんならん……。搗け過ぎりゃせんか、盗られりゃせんかって苦労の絶えたことはない、みんなおんなしこんだわな……ってさうお云ひて……俺らだまって聞いて居ったが悲しかったでいまにわすれんよってなあ!」
勝太はさう話してゐる中に現に自分が云はれたやうな口惜しさの湧くのを覚えた。
森田の元の邸には台所が二つ在って耕地の者は下の台所迄しか行けなかった。勝太のお袋達の時代には、正月と盆には耕地中の者が家族全部引連れて土下座の形でお招ばれに行った。それは単なる小作人と地主の関係ではなく、農奴として厳格な主従の関係を結ばれてゐたので、耕地の者は大屋へ絶えず出入して召使ひの役目を果たしてゐたのであった。それはこの森田部落許りでなく、他の部落も同様で部落部落に一軒づつ大屋が在って、耕地の者は山林田畑と等しく大屋の所有財産で有り、人間の売買さへも行はれてゐたのである。
自分等の祖先達の事を思ふ度、勝太は激しい屈辱を感じないではゐられなかった。
その思ひにこそ身を粉にして働き続けて来たのではなかったか……。
留吉はふとにやにやして
「あれで森田のお志津さも独りで遣って行けるらか?」と云った。その意味がみんなに解った。
「そりゃ遣って行くとも! 亭主やなになくたって……。女はそこへ行くと子供さへありゃ強いものだに!」
まっゑがハキハキした口調で云った。
「どうだか! 女寡婦に花が咲くって昔から云っとるでハハハハ……」
新蔵は笑って云った。
「こないだ、おふじさが馬鹿に洒落た風をして帰って来たぞ。馬鹿に若々した顔しとった……」
「おふじさは製糸で取るで工面がいいな!」
「製糸でいくら取れず! 口稼ぎがやっとこだ。又いい金主がついたんずら!」
留吉は女房の顔を見乍ら云った。
「だが由公は脆く死にゃがったな……。森田の利国さの好い相手だったが……。ありゃ酒がもとだな……。利国さあたりもさうだが!」
「うん、そいだがあの家もこの景気で四人から五人食はせて行かんならんのだで、後家の腕ぢゃえらいことはえらいなあ!」
同じやうな話がいつまでもくどくどと続けられて夜が更けて行った。
三
気がついて見るとこの部落にはやもめ暮しの者が多かった。去年の秋夫に死なれた森田の志津、春死なれた窪のおふじ、志津の南隣りの源吉も子供の秀ともう久しく独り暮しである。源吉の女房はお咲と云って、もと吉野屋に、茶屋女をしてゐる時一緒になったので眉の細い一寸美い女だった。源吉に稼がしてのらくらしてゐる事が多かった。
それが旅渡りの仕立屋の職人といい仲になって真昼間ふざけ散らしてゐた。源吉が漸っと気付いて一悶着起きた。源吉が目の色|変《か》へて男の宿の平吉の家へ飛び込んだ時はさすがに二人共震へ上った。
「源公も意久地が無いぢゃないか。二人居るとこへ飛び込んでよ、金毘羅の野郎怖じけりゃがって、五尺下って話せって頼んだら源公は五尺ちゃんと引き下ったちふぞ……思ひ切り打ちのめして遣りゃあよかったものを!」
平吉から聞いた新蔵はさう云って憤慨した。
讃岐の生れだと云ふその職人の事をみんなは金毘羅の符号で呼んだ。金毘羅はぢきに村を出て行ったが、間もなくお咲も乳呑児を捨てて置いて逃げ出して了った。金毘羅と一緒になるのだらうと誰も思ったがさうではなくて、又どこかで茶屋女になった噂だった。「あんな山の中の貧乏暮しはもう懲り懲りした」と、迎へに行った源吉の叔父にお咲は平気で云ったさうだ。
あんな性根の腐った女は思ひ切って、誰か貰へと誰も勧めて見たが、源吉は深い未練があるらしく帰ってくる日を待ってゐるやうだった。
「誰の子だかも知れもせんに、よく源さは世話をする……」いつも小薩張と洗った着物を着せられてゐる秀を見ると女房達はよくさう云った。
「似たとこがあるで子ずらよ!」
「ちょっとも似たとこが無いぢゃないかな! あの子は! お咲さ酷似《そっくり》の顔しとる!」
そんな話もたまには出た。父親の穿鑿と云ふものは割合寛大に置かれてゐるものだ。詳細に穿鑿して行くと思はぬ処に当り障りの出来る事が有った。蔭口と云ふものは云ったり云はれたりするものである。
源吉のその又隣も独り者の甚太爺の家である。隣と云っても山と谷とで五丁も隔ってゐる。甚太爺は枯木一束くくるにも一糸乱れずといふ風にくくらねば気が済まぬ質で、それを整然と炭焼小屋同然の家のまわりに積みあげて置くのが自慢だった。
もっとも近頃枯枝一本拾ふ山もなくなって、吉野屋や医者の家へ持って行って売るものを作るのに苦労してゐるやうだが甚太爺は若い時から一度も女房は持たなかった。何か話しかけると手を振って笑ってゐる。ひどい聾だから聾甚太で通って来た。
小作もせず年中|日傭《ひよう》取りだから賃取り甚太といふ名もついてゐる。この前の選挙の時には、甚太も五十銭貰って一票入れに行って来た。
「お爺め、片手出して見せるから、五両貰ったかと思って俺ァびっくりした……」
選挙でいい稼ぎをした連中はさう云って笑った。
部落の南端れの増乃後家は此頃景気が好ささうな噂だった。十五年から連添った亭主に愛想を尽して別れてからずっと独りでゐた。とや角噂を立てられる年増だったが三年程前、三河者の徳次を後釜に家へ入れた。男の方が二十の余も年下だったから娘の婿に丁度好い位で、みんな蔭では魂げて了った。徳次は天保銭の方だったが馬鹿力が有って人の三人前は働いたから「うまくくはへ込んだ!」と云ふ事だった。
去年の秋のお祭の時に酒を出して耕地の衆に「お頼み申します」と挨拶を入れたので、それで正式のものとなった。
徳次が入ってから、蚕も大取りを始めるしこの冬、物置も建てたりした。
娘の貞子は体が弱いと云って製糸へも行かずぶらぶらしてゐた。器量がいいので注目の的だった。
「そいでが貞子さも仕事をさせて見ると厭ァになるぞ! 飾り物にして置くにゃァいいかも知らんが!」
青年達はそんな事を云って笑ふ時が有った。
貞子はこの頃看護婦になるとか云って町の方へ行ってゐた。帰って来る度に垢抜けて美しくなって来た。
日吉のお絹姉妹は一番運が悪かった。二人共もう死んで了った。妹のおたつは若い頃に家を出て旅を流れて歩いてゐたが、男の子一人連れて帰って来るなりどっと肺病が重くなって死んで行った。お絹も若い時は評判女の浮名を流したが、一度亭主を持ってぢき別れて了ってから森田の大旦那の妾のやうな暮しをしてゐた。年増になってもどこか仇っぽいところが有って、森田の若主人とも関係のあるやうな噂も有った。山の奥の一軒家におたつの遺児の清司と二人住んでゐた。そのお絹が一昨年の秋ふっと気が変になって了った。一日中部屋の壁に向って佇んでゐる
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