い》様! 今日はなんだな」と新蔵に聞いた。
「俺ァ今日は松下の屋敷引きだ!」
「なんだ、何か建てるのか?」
「なあに、裏へ石垣取るってんで、あの厩を一寸ずらせるだけだ」
 留吉は飲み乾した盃を下に置いたが、
「だが松下もめきめきと身上|拵《こせ》えたなあ!」
 さう歎息するやうな口調で云った。
「田地は買込む、普請はする、お蚕は当てる、金は貸せる程有るんだで! 云はっとこねえさ……」
「日の出っちふもんさ! あそこらが――」
「仕事がどんどん廻るでなあ……。ああなりゃおんなじ仕事でも楽で面白く廻る!」
 新蔵が云った。
「さうだ。入る者と出る者ぢゃ大した相違さ! ちィっと利子でも負けて貰はっと思やあ、酒でも買って罐詰の一つもつけて持って行かんならんちふ訳だでな!」
 留吉は苦笑し乍らさう云った。
 そこでいつもの事だが工面の良い家の噂が始まった。
「まあ松下、それから吉本屋!」新蔵は順に数へるやうにした。「そこらのもんかな!」
「長沼あたりも借金もでかいらがもとから有る家だで、食ふ米にゃ困らんて!」
 さうつけ加へて云った。
 森田家を別にすれば、もとこの部落で僅か乍らも先祖伝来の田畑を耕して食ひ凌いで来た者はほんの三四軒の家だけだった。
 松下でも森田家が潰れた時、洞上田地を安く手に入れたのが運が好かったと話が出た。
 吉本屋も小金を要領よく利殖してめっきり大きくなってきた。金も一旦溜り出すと苦もなく働けてまた溜る。
「あそこでも今ぢゃ家内《うち》ぢうで米はとても食ひおほせんらよ?」
 勝太は口を挟んだが、
「あそこなんにも無しっちふやァふんと茶碗一つも無しとからはじめた身上だで!」
 さう感慨深さうに云った。此処でなんにもなしの境涯から田地の一枚も手に入れようと発心すればどれ程の働きをせねばならぬか――親に背いて夫婦になって飛び出してから、吉本屋も人の三倍四倍は事実働き抜いて来たのだ。――田の畦にどの子も寝かされて育って来たのだ。
「月給の入る衆は不景気知らずだ!。吉本屋も息子が取るで楽になる一方さ!」新蔵は一寸言葉を切ったが「だが人間もちィっと身上が出来ると強《きつ》くなるで怖っかねえ……」
 さう含んだもののある調子で云った。
「うん、あそこら今ぢゃ巾利だでな!」
 留古は大きく頷づいて見せた。
「中屋の後家も一時から見ると大分調子がいいやうぢゃねえか?」

前へ 次へ
全29ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
金田 千鶴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング