作を責めなかった。時々開催する演説会等にも、祖父だと「文章規範も碌に読めンそこいらの青二才の話し見たいな、ヘッ、あほらしゅて聞けまへんわい!」と鼻先で嗤《わら》って、てんで問題にもしなかったが、父は、暇の許す限り出席した。慎作が昂奮して卓を叩き、拍手の前に一寸見得を切る時等、見ると、大抵父も遠慮勝ではあったがパンパンと手を叩いて、少なからず得意気であった。それは慎作の演説に共鳴すると云うよりは、何んでもよい自分の息子が人前で拍手されることを祝福する、愚かな親心の飾らない現われであるらしかった。慎作はそれをくすぐったく思ったが、併しこの父のたとえ子煩悩からの支持にしても、家の中では古い豪傑の様に威張り返って居る祖父の手前甚だ心強くもあった。必然、父は板ばさみになった。そこへ母は、父に譲らない引込思案の女だった。祖父が、「体あたり」式な論法で糞味噌に慎作をやっつけ、ひいては、それを黙視する父自身にまで鋭鋒を向けてくると、流石《さすが》に父も、昔の思想習慣に引戻されて父親としての責任も考え出す様ではあったが、それでも、丁度赤穂浪士の様に苦難して百姓達の幸福の為めに闘うのだと勇んで走り廻って居
前へ 次へ
全34ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山本 勝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング