の腕を掴んで橋を渡ろうとした。
「何だ、どうしたんだい」宮崎の腕にグングン引っぱられながら、後に凭れる様にして慎作は原因を探った。と、また、宮崎は急に立止まった。まじまじと慎作を見詰めて、徒に唇を歪めた。
「おい、喫驚《びっくり》させるなよ」と、呆れて慎作が叫けんだのと、聞覚えのある声を耳にしたのと、群衆の隙から眼球を引抜かれる様なものを一瞥したのと、殆んど同時だった。
「おおッ」慎作は泳ぐ様に群衆をかきのけた。クワッと最後の一炎をあげた晩暉の中に、拳で空を叩き、熱弁をふるっていたのは、盲縞の裾をはしょり、全身を痙攣させた、まぎれもない慎作の父だった。
「物持階級は百万円の問題である。吾々は団子の様に固まって……」
 父は据えきった眼をギロッギロッと人々の上に流して行ったが、突然、恰も空から落ちかかる何物かを受け止める様に、両手を高々と翳して、一語一語に永い尾を引かせて叫けんだ。
「十姉妹は悪いぞオ、なんぜ、皆は、鳥なんか飼うのかあ、丁と半とは仲々分からないぞオ、諸君、物持階級は百万円の問題であある。」
 誰れかが「ヒヤ」と弥次り、誰かが「ノー」と嘲笑った。怪訝《けげん》そうに足を止める新らしい通行人も、演説者の狂気を知ると安心して顔を崩した。
「……であるからして、吾々は団子の様に固まって……」父は、皮肉にも慎作の演説の端っくれを、而かも慎作そっくりの抑揚で叫けぶと、だしぬけに掩口された様に行詰まり、義眼の様に瞳孔を拡大させた。汗と涎《よだ》れが哀愁と憤怒の表情のまま氷りついた顔皮を、びっしょり濡らしていた。
「団子の様に固まってどうするのや」
「喰うのかい」
「この狂い、さっきから同じ事ばかり言いよるがな、浪花節でもやってんか」
 父は狂った。狂った父が、機械の様な饒説であった。昏倒しそうな衝動が慎作を一種の無感覚に誘ったが、次の刹那せき[#「せき」に傍点]を切った怒濤の様なものが、爆発した火華《ひばな》の様なものが、全身を狂い廻った。
 慎作は泥酔者の様によろめいて近寄った。
「おい、お父っつぁん、しっかりしてくれ、おい、おおいッ」
 涙で震える視野に、不審気な青い顔が、ぼッと霞んでいた。
「おい、分からないのかい、俺が――慎作が分からないのかい」
 襟首を鷲掴みにされて身悶えした父は、渋面一杯鯉の様にパクパク口を開き、何か叫び出しそうにした。群衆はどよめいて
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