る》「悟後の修行」に一念向上するあらんのみ。
嗚呼《あゝ》、予が見たる所、感じたる所、すべて是《か》くの如し。或《あるひ》は余りに自己を説くに急なるふしもありしならん、或は辞藻やゝ繁くして、意義明瞭ならざるふしもありしならん、いづれは予が筆の至らざる所と諒《りやう》し給ふベし。予は今尚ほこの事の表現に心を砕きつゝある也。但だ予は此《か》くの如くに神を見、而してこれより延《ひ》いて天地の間の何物を以てしても換へがたき光栄無上なる「吾れは神の子なり」てふ意識の欝《うつ》として衷《うち》より湧き出づるを覚えたり。われは宇宙の間に於けるわが真地位を自覚しぬ。吾れは神にあらず、又大自然の一波一浪たる人にもあらず、吾れは「神の子」也、天地人生の経営に与《あづか》る神の子也。何等高貴なる自覚ぞ。この一自覚の中に、救ひも、解脱《げだつ》も、光明も、平安も、活動も、乃至《ないし》一切人生的意義の総合あるにあらずや。嗚呼吾れは神の子也、神の子らしく、神の子として適《ふさ》はしく活《い》きざるべからず。かくして新たなる義務の天地の、わが前に開けたるを感じたり。されど顧みれば、吾れ敗残の生、枯槁《こかう》の
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