》也。
 さあれ予は件《くだん》の見神の意識につきて、今一つの言説すべき者あるを感じたり。そは他にもあらず、予が曩《さき》に「我が我ならぬ我となりたり」といひ、「霊的活物とはた[#「はた」に傍点]と行き会ひたり[#「行き会ひたり」に傍点]」と言へるが如き言葉の、尚《な》ほやゝ疎雑《ルーズ》の用法ならざる乎《か》との疑ひ、読者にあらんかとも思ひたれば也。されば、予をして今一度最も厳密に件の意識を言ひ表はさしむれば、今まで現実の我れとして筆|執《と》りつゝありし我れが、はつと思ふ刹那に忽ち天地の奥なる実在と化《な》りたるの意識、我は没して神みづからが現に筆を執りつゝありと感じたる意識[#「今まで現実の我れとして筆執りつゝありし我れが、はつと思ふ刹那に忽ち天地の奥なる実在と化りたるの意識、我は没して神みづからが現に筆を執りつゝありと感じたる意識」に白丸付く]とも言ふべき歟《か》。これ予が超絶、驚絶、駭絶の事実として意識したる刹那の最も厳密なる表現也。予は今、これ以上、又以外にこの刹那に於ける見証の意識を描くの法を知らざる也。予は如是《かくのごとく》に神を見たり、如是に神に会へり。否《いな》、
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