い。」
 と繰り返すばかりであった。彼はその男を引き擦るやうにして警察署に引張って行った。
 彼はその男を逃すまいと云ふ熱心と、初めて犯人を逮捕して来たと云ふ誇りで夢中になって居た。まるで犬か何かのやうに其の男を審問室に押し込めると、彼は監督警部の所へ行って報告した。熱い汗が彼の額から両頬へ流れた。
 彼の報告を聞くと監督警部は軽く笑って、
「ふむ、初陣の功名ぢゃな、御苦労だった。おい、渡辺部長。」
と、彼は一人の巡査部長を呼んで、その男を審問するやうにと命じた。
 奥間巡査は、その部長が審問する間、傍に立会ってそれを聞いて居た。さうして部長の審問の仕方の巧妙なのに感心した。彼はその男が本当の窃盗犯であって呉れゝばよいと思った。若し此の男が何の罪も犯して居なかったら、自分の不手際を表はす事になる。さう云ふ不安が時々、彼の心を掠めた。然し審問の進むに随って、その男が窃盗を働いてると云う事が解って来た。男はとう/\斯う云ふ事を白状した。
「自分は△△村の物持《ものもち》の息子であったが、色々の事に手出しをした為めに失敗して田畑を売り払った。素からの貧乏人でも窃盗でもない。然し自分の家が零落した上に、不作続きの為めに生活が苦しくなったので、大東島へ出稼人夫になって行く為めに、那覇へ来たのであるが、医師の健康診断の結果、何か伝染病があると云ふので不合格になった。(多分肺結核であらう。男は話をし乍らも、何遍も咳入った)そこで仕方なしに、那覇で仕事の口を捜さうとしてる中に有金を使ひ果《はた》して宿屋を逐ひ出された。それから当途もなく街を歩いてる中に、あの嵐になったのでかくれがを探して、あの開墓に入った。その中にあんまり餓《ひもじ》くなったので、今朝、雨が小止みになったのを幸ひ、その開墓を出て街に行った。さうして水を貰ふ為めに、ある酒店に入らうとした時、其処の酒樽の上に紙幣のあるのを見て、ふと、我れ知らず、それを盗み取ったのである。然し、その紙幣を手に取ると急に恐ろしくなったので、後をも見ずに、また、あの開墓に逃げ込んだ。決して自分はもとからの窃盗ではない。自分の妹は辻に居て立派な娼妓になって居る。自分も妹の所へ行きさへすれば何とか方法も就くのだったけれど、あまり服装が悪かったので、妹の思惑を恐れて行かなかったのである。もう二度とこんなことは致しませんから、どうぞ赦して下さい。」
 男はさう云ふ意味の事を田舎訛りの琉球語で話して居る中に、だん/\声が震へて、終には涙が彼の頬を流れた。

「旦那《だんな》さい、赦《ゆる》ちくゐみ、そーれー、さい。」
 さう云って男は頭を床《ゆか》に擦《す》り付けた。
 部長はそれを見ると勝ち誇ったやうに、笑声を上げた。
「奥間巡査、どうだ。正に君の睨んだ通りだ。立派な現行犯だよ。ハッハッハッ」
 然し、奥間巡査は笑へなかった。息詰るやうな不安が塊のやうに彼の胸にこみ上げて来た。
 部長はきつい声で訊いた。
「それで、お前の名前は何と云ふのだ。」
 男はなか/\名前を云はなかった。奥間巡査は極度の緊張を帯びた表情で、その男の顔を凝視めた。すると思ひ做しか男の顔が、彼の敵娼の、先刻別れたばかりのカマルー小の顔に似て居るやうに思はれた。
 部長に問い詰められると、男はとう/\口を開いた。
「うう、儀間樽《ぎいまたるー》でえびる。」
 奥間巡査はぎくりとした。
 男は名前を云ってしまふと、息を吐《つ》いて、それから、自分の年齢も、妹の名前も年齢も住所も話した。さうして、彼はまた赦して呉れと哀願した。
 男は奥間巡査の予覚して居た通り、カマルー小の兄に違ひなかった。彼は此の男を捉《つかま》へて来たことを悔恨した。自分自身の行為を憤ふる気持で一杯になった。先刻、此の男を引張って来た時の誇らしげな自分が呪はしくなった。その時、部長は彼の方を向いて云った。
「おい、奥間巡査、その妹を参考人として訊問の必要があるから、君、その楼《うち》へ行って同行して来給へ。」
 それを聞くと、奥間巡査は全身の血液が頭に上って行くのを感じた。彼は暫時の間、茫然として、部長の顔を凝視《みつ》めて居た。やがて、彼の眼には陥穽《かんせい》に陥《お》ちた野獣の恐怖と憤怒《ふんど》が燃えた。(完)



底本:「池宮城積宝作品集」ニライ社
   1988(昭和63)年4月1日発行
入力:大野晋
校正:松永正敏
2002年1月3日公開
2005年11月21日修正
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